壱の六:集会/――御老――

 御老は、榊原の声に反応することなく、天龍のオヤジにだけ声を返した。 「おう」    短い返答。だがそれだけで彼の人物が何を意図しているかが即座に伝わってきた。 「陽坊」  堀坂の御老と呼ばれた男が天龍のオヤジに声をかける。だがその呼び方はどこか子供扱いしている。だがオヤジがそのことで激昂する様子は全くない。そう呼ばれるのが当然というような雰囲気すらある。 「はっ」  会釈をしたまま返答する。御老は微かに笑みを浮かべてこう告げたのだ。 「ちょいと待ってな。片ぁ付けるからよ」  その言葉には御老と呼ばれた男が天龍のオヤジに対してどんな思いを抱いているかが滲み出ていた。対して、榊原の強欲に向けて投げられた言葉ははっきりとしていた。 「礼司よ」 「へ、へい」  榊原が頭を下げている。両足を少し開き気味に前かがみになり、両手を両膝に乗せている。 「またぁ〝おねだり〟かい。相変わらずだな手前ぇは」 「す、すいやせん」  榊原が述べる弁明の声も御老は全く意に介さない。その視線を周囲全てに投げかけるとこう切り出したのだ。 「どうだ、この件、俺に仕切らせちゃあくれねえか?」  異論の声は上がらない。むしろそれが当たり前であるかのように全員の無言を持って同意されたのである。  そして、再び、天龍のオヤジと榊原に交互に視線を向けながらこう語り始めたのだ。 「陽坊、理由がどうあれ、集会の仕切りをやってるてめえが役目を与えられてる人間の全員に目が行き届かなかったのはどう考えたってお前が悪い。たとえ、身内からの悪さがあったとしてもだ」 「はっ」 「それから、礼司」 「へい!」 「そんなに欲しい欲しいつうなら、いっぺんやってみるか〝七審〟ってやつをよ」  その言葉にわずかにどよめきが起きる。  榊原の表情が気色を帯びにわかに嬉しそうになり、天龍のオヤジは眉ひとつ動かさない。だが、御老の言葉には続きがあった。 「ただし」  ドスの効いた声が告げられる。悪ガキに約束事を納得させるのための脅しのような声。 「向こうさんと、いっぺん話し合いをしてからだ。なんでもかんでも無理が簡単に通るとは思うなよ?」 「―――」  榊原は答えなかった。即決で決まらなかったのが不満なのは誰の目に見ても明らかだった。だが―― ――ガッ!―― ――御老が手にしていた杖が強く床に打ち付けられた。 「礼司!」  強く怒気を帯びた声。誰もが納得せざるをえない声だ。そこまでされて榊原はようやくに納得したのだった。否、納得させられたと言うべきか。   「へ、へい!」  その返事の声を聞いて御老が満足げに頷いた。 「よし、この件は終わりだ。それから陽坊、俺の部屋ぁ来い」 「はっ」  堀坂の御老からの直接の呼び出し。それが何を意味するのか誰の目にも明らかだった。否、そう見えるようにわざと言い残したというのは穿ち過ぎだろうか?  ともあれ、榊原に対しては判断待ち、天龍のオヤジに対しては相談役からの呼び出し、そういう形に決まりこの集会の場での騒動はあっさりと集結した。 「お前らもいいな?」  堀坂の御老が、場の全員に向けて声をかける。不満や反論や異論は一切ない。  全員が一斉に立ち上がり、深々と礼をする。その頭の下げ方は石黒の総長の時とは比べ物にならないくらいだ。  そして、堀坂の御老が身を翻す。 「行くぞ」  その傍らに連れていた長身の若者に声をかける。  漆黒の上下スーツにブーツ状の履物。手にはぴったりとした革グローブ。中に着ているシャツは濃い青色でノーネクタイ。髪は黒髪で腰の辺りまでの長さがある。整えられたというよりは伸ばせるだけ伸ばして放っておいたと言うべきか。そしてその右手には白木の鞘に包まれて仕込み杖として一振りの刀が握られていた。それが意味するものは〝護衛役〟そして、堀坂の御老の〝愛弟子〟  身を翻し集会の場から歩き去っていく御老を追うようにその長髪長身の若者は後をついていった。  身を翻す身のこなしと同時に長い髪が揺れる。その瞬間、異常とも思えるほどの血の匂いがあたりに立ち込めた。そうまるで何百人何千人も斬りまくってきたかのような――  いかなヤクザとはいえ誰もが眉をひそめるほどの殺気と剣呑さだった。誰か言葉を漏らす。 「なんなんだ、あの若いのは? 何人殺してるんだ?」  否定も反応が上がらないことから皆が同じ思いを抱いているのがよく分かる。ただ、天龍のオヤジだけはその者の正体が薄々わかっているようだった。 「えーそれでは――」  司会役が声を発した。榊原の強欲野郎によって生じた混乱は一旦収束することになった。  参加者が三々五々に姿を消していく中で、榊原は天龍のオヤジを不満げな形相で睨みつけている。天龍のオヤジは表情に険しさこそあるものの落ち着いた風で集会の終わりを仕切っていた。  その時だった。  氷室のオジキから俺に通信が入った。 『聞こえるか』 『はい』 『俺の側近に会場警備を引き継げ、そして俺達と一緒に来い』 『了解すぐに行きます』  聞こえてきたのは、あの堀坂の御老の所へと同行の指示だった。俺のような三下格にどんな役目があるというのだろう? そんな疑問を抱く余裕すらステルスヤクザである俺にはないのだ。  俺のすぐそばに氷室のオジキが普段から連れ歩いている笹井という巨漢の男が現れた。そして、互いに目線で合図しながら役割を引き継ぎする。  俺の視界の中で天龍のオヤジと氷室のオジキが歩き出している。  遅れるわけにはいかない。俺は足早に駆け出していた。

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