陰謀の都

 迷惑顔のウィゼルが、弓矢を手にしてルークを出迎えた。 「なんで人の話を聞かないかな」  人の話を聞かないのはお前だという言葉を、ルークはぐっと飲み込んだ。言ってしまえば罵り言葉を抑えられなくなりそうだし、|楚々《そそ》とした外見とは裏腹に存外に気の強い少女の事だから、喧嘩になるに決まっている。 「今はアルルが居ないんだぞ」 「呼べば来るわよ、あの子は」 「確かに呼べば来るのかもしれない。けどアルルがここにやってくる前に何かがあって困るのはウィゼルだ」 「目の前で助けを求めてる人を放っておけるわけが無いでしょう。そんなのは見殺しにしているのと一緒よ」  ウィゼルは不機嫌そうに矢をつがえた。  追われていた女は三人の男達に取り囲まれ、壁際まで追い詰められている。女の口から悲鳴が洩れるまで、さして時間はかからなかった。悲鳴と怒声が沸き起こった瞬間、弓から矢が放たれた。見えない糸に引かれるような精妙さで背中を向けていた男の耳をかすめ、女のすぐ脇の壁に突き刺さった。男の耳から赤い粒が、じわりと滲み出した。血の滴が服を汚す前に、近くにいた男の背中へルークが鞘に収めた剣を叩きこんだ。組み敷かれた女の両足へ、男が驚く間もなく上半身を投げ出した頃には、ウィゼルによって股間を蹴り上げられたもう一人が地面と濃厚な関係を築いている。あっという間に二人の男を叩き伏せ、女を組み伏せていた最後の一人が顔を上げた時には、男の仲間は誰一人として起き上がっている者はいなかった。 「痛い思いをしたくなかったら、そのまま去れ」 「いいえ、立ち去らなくって結構よ」  脳天に弓を叩きつけられ、大の字で昏倒した男に、ルークは口元を引き|攣《つ》らせた。 「やり過ぎじゃあないのか?」 「貴方が優しすぎなの」  呆れたように溜息を吐き、ウィゼルが女を振り返った。腰まである|黝《あおぐろ》い髪を緩めに束ねた女が虚ろな表情で二人を見上げている。男達に組み敷かれていたせいで服が半分脱げかかり、女の手足には赤い手形が生々しく浮かんでいた。応急処置を始めたウィゼルを眺めながら、ルークは膝上までめくれ上がった服の裾から艶かしい曲線を描いた女の白い腿が覗いているのに気付づき、慌てて顔を背けた。 「……良いと言うまで、あっちを向いてて」 「ち、違う、そういうつもりじゃ……」  ルークは顔を真っ赤にして俯いた。 (これは不可抗力だ。見ようと思ってみたわけじゃない。足の方から目に飛び込んできたんだ。足が悪いんだ。そう、足が綺麗だから。ああそうだ、俺には刺激が強過ぎたんだ。くそ、見るべきじゃなかった)  脳裏に浮かび上がる絵はなかなか消えてくれない。異性の素足などルークは生まれてこの方一度も目にしたことが無いのだ。祭りごとに神殿で舞踊を奉納する巫女や、城で踊りを披露する踊り子だって足や腕などの露出なんかしない。煌びやかな装束をまといはするが、肌の露出は極力避けている。これは男性にも言える事で、性をあからさまに匂わすことは、はしたないとされているせいだ。だから、生の足を見ると、心臓が飛び出すんじゃないかと思うほど、どきりとする。 (他の事に意識でも向ければ、少しは忘れられるだろうか)  例えば、女が追われていた理由だとか、男達が何者なのか。既に面倒事になっているのだから、多少は事情を聴いてみたくはある。  ウィゼルと女の会話に耳を澄ました。声はとっくに途切れていた。応急処置に集中しているにしてはどうにも妙な具合で、衣擦れの音も、案じる声も無い。代わりに、うそ寒いものを背中に感じた。   (まるで、スフグリムに斬りつけられた時のような)  その大元が女が介抱されている方向から発せられているような気がしてならなかった。気にはなる。でも、振り向くわけにはいかない。せめてウィゼルが良いと言うまでは。 (弓で脳天を叩かれたくない!)  けれど、涼やかな声がルークを招いた。 『助かりましたわ、元殿下。でも、もう少し用心された方が宜しいかと思いますの』  その女は、エル・ヴィエーラの公用語を難なく話し、ウィゼルの喉元に短剣を突きつけてにこりとした。つい先ほどまで|嬲《なぶ》り者にされかかっていたとは思えない様相の女を前に、やはりそう来たかと、ルークは心静かに現実を受け入れた。幸いにも自助努力せずして、あの白く艶めかしい腿の半分は頭から消し飛んでくれている。 「何者だ」  敢《あ》えてカマル語を口にすると、女が一瞬|怪訝《けげん》な表情を浮かべて考え込んだ後に、いかにもな白々しい笑顔を作った。 『初めまして元殿下、|私《わたくし》はシルビア。元老であられるジャーファル様の侍従をしております。本日はジャーファル様から、元殿下を屋敷へご案内しろと仰せつかっております。|僭越《せんえつ》ながらご案内をば』 「こんな状態で|誰何《すいか》して返ってくる言葉など、ろくなものでは無いだろうと分かっていたが、本当に《《ろくでもない》》とはな」  シルビアという女の出自をわざわざ聞かなくても耳馴染みのある言語と容姿は、自然と女の正体を明かしてくれていた。 (間違いない、エル・ヴィエーラ聖王国の人間だ)  ルークにとってみれば、気のいい相手ではなかった。態度も行動も胸糞が悪くなるものばかり。一番最悪なことに守るべきウィゼルは人質にとられている。逃げ出すわけにもいかない。それに、 (こいつは嘘をついている)  本当にジャーファルの侍従だったとしても、絶対にあり得ない事が一つ。国での役職を持っているものほど他国の人間を手元に置きたがらない。ジャーファルもまた、そういう人間であることをルークはよく知っていた。 『茶番を演じるのが上手いな』  記憶の端にわずかながら残っていたエル・ヴィエーラ語を、ルークは皮肉と共に返した。シルビアは作った笑みを崩さない。しかし、青い瞳の奥底は冷ややかだった。 『御褒め戴き光栄ですわ。相も変わらず口だけは達者なご様子、お立場をお分かりになられないくらいお元気そうでなによりですわね』 『まずはウィゼルを離せ。多少の善意を込めるなら、いい加減にしないと、《《とんでもないもの》》がやってくるぞ』 『それならばご心配なく。あの竜ならば今頃ご飯に夢中ですわ。飼われている竜って|御《ぎょ》しやすくて良いですわね。それに元殿下が暴れない保証がありませんから、人質を解放するのは無理なお願いですわ。仮にもし暴れられて、うっかり元殿下の|御命《おいのち》を頂戴しては今度は私がお叱りを受けてしまいますし、何より元殿下と刃を交えるためにこんな馬鹿な真似をしている訳ではありませんもの』 『無礼なわりに賢明なのだな』 『私と同じ賢明さを、元殿下もお示しになられたら良いのですけれど』  シルビアが艶やかな笑みを浮かべ、ウィゼルの細い首筋に短剣を突き立てた。浅く食い込んだ刃の先端から、赤い珠が浮かぶ。 『いかがされます。ついて来るのか来ないのか。お返事は早い方が宜しいですわね。なにせ|私《わたくし》、待つのは苦手にしておりますの』  選択肢など初めから無いようなものだと、ルークはシルビアを睨んだ。ウィゼルを助けたいのなら、ルークはシルビアの条件を飲まねばならない。断れば|躊躇《とまど》い無くウィゼルの首を斬るだろう。 『……まさか、屋敷に案内するだけが目的じゃあないだろう?』  シルビアが、おもしろいことを思いついたかのように、片眉をあげた。 『|私《わたくし》が殿下の前に姿を現した理由、知れてましょうに』 『さて、俺には分からん』 『同盟のための人質として、アル・リド王国へ向かわれるのでしょう?』  ルークの表情が、さっと、変わった。シルビアが、笑みを深くした。 『|鉄女神《マルドゥーク》をお持ちの国の人質ですもの。アル・カマル皇国に敵意を持たれるようなことは、ガリエヌス王も、サルマン王子もなさらないでしょう。元殿下の兄君も、やすやすと隣国の言う事を聞くような方ではありませんし?』 「なにが言いたい」  ルークは思わず、カマル語をこぼした。背筋が泡立つ。剣の柄を、ぎゅっと握りしめた。シルビアが、ウィゼルを強く抱き寄せた。 『面白いお話をして頂けそうですわねえ』  シルビアが、冷ややかに笑った。 『たとえば、アル・リド王国の内情だとか。それをアル・カマル皇国がどう見て、どう対応するのか是非殿下のお口からお聞きしたいわ。ああ、なにもただでとは言っておりません。対価として、聖王国とアル・カマル皇国の間に協会が立って差し上げましょう。そうすれば聖王国側からの厄介な使者が来ないように取り計らうこともできますわよ。いかがかしら?』 『俺に密偵の真似事をしろというか』 『真似事ではありません。密偵そのものですわ。元殿下だって大人しくアル・リド王国の人質に収まっているつもりなど無いのでしょう。それに、元殿下の兄君だって、ただの人質になってもらうために元殿下をアル・リド王国へやるおつもりではないでしょうし……そろそろ回答していただけますかしら、手が痺れてきたわ』  悪いことではないと、シルビアは言う。ルークは難しい顔で黙り込んだ。シルビアの言う通りだったからだ。 『……ジャーファルは、なんと言っている』 『おおむね、私と同じような事を仰っておりますわ』  途端に、ルークの表情が|翳《かげ》った。 『ジャーファルの所へ案内しろ』  ルークの出した答えが意外だったらしく、シルビアが目を丸くした。 『最後に一つ、俺からも聞かせて欲しい』  以前から、ルークの中に燻っていた疑問。何故、早々とルークを見つけることが出来たのか。都につくなり早々に、しかも襲われるという芝居を打ってまで、ルークをおびき寄せられたのか。 『おまえたちは|西守の長《ターリク》と組んでいるのか?』  シルビアが、嫌な笑みを浮かべた。 『世間話にのぼった皇族の名に反応してしまったのは、|迂闊《うかつ》でしたわね』  ああ、と、ルークは嘆息した。 『なるほど、ルーシィか』  シルビアが、無邪気に微笑んだ。

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9pt

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