戴冠、或いは暁を待つ | 一章:女王と新しい仕事
かなた

05

 丘の麓《ふもと》には、城壁が迫る。  かつてトゥーリーズは工房を擁する城であったため、城そのものが解体された今でも壁のことを城壁と呼ぶのだ。当時の功績を讃え、これには〈銀の壁〉という名前があった。  この〈銀の壁〉は壁伝いに歩くことで、どの通りにも入ることができる。要するに領主邸前にある広場と同じだが、城壁に唯一の門に接するこちらのほうが何倍も広い。  城壁の外とつながっているだけあって、荷車が二台すれ違ってもまだ余裕がある。その余裕の部分には、出入りの手続きを待つひとびとを狙う露店の姿も多かった。  合間を縫うように歩むひとの姿には、軍装をまとった者も少なくなかったが。 「腹減ってるときに来る場所じゃねぇな。財布置いて来て正解だったわ」 「……昼は?」 「抜いて来たよ」  あっけらかんと笑うクロイツは、ブラシをずるずる引きずっていた。  持ち歩いても目立たないもの、という指定でハイロから借りたものだが、目立っていないかは微妙なところだ。買い物をする人間も使う場所なので、見るからに怪しいということはない気もするが、まあまあ目立つ。 「時間がなかったのか? せっかくだし、工房で食べてくればよかったのに」 「腹が膨れてると刺されただけで死ぬからなあ」  僕は目を瞬かせた。隣を歩く魔術師は明朗に笑ったまま、空いた手で自分の腹を撫でる。 「あと、殴られたときに吐くし」  釣られて僕も腹を撫でる。あれからスープのおかげで大量の水を飲んだせいか、まだ結構な満腹感があった。ということは、つまり。いや、それよりも。 「君、本当にどこに行くつもりなんだ」 「さっきも言っただろ。おまえの本業にもちょうどよさげな現場だ」  クロイツは軽い足取りですいすいと前へ進んで行く。  僕の不安なんて、きっと彼にとっては瑣《さ》末《まつ》事《じ》でしかないのだ。というか、瑣末事であるかどうかさえ怪しい気がする。どうせ彼にしてみれば、自分の態度がどのように主人へ報告されるかなど、不安材料ですらないのだろう。  ゆえに僕は彼を止める手立ても持たず、黙ってその後ろを歩いて行くしかない。  しかしながら、クロイツはそんなに長い距離を歩かなかった。壁沿いに点在する小屋のひとつに行き先を定め、寄り道のひとつもしない。  いちおう小屋と表現してはみたものの、それが本当に小屋であるかは微妙なところだ。建屋は壁に半分食い込むような塩梅だし、小屋と呼ぶにはずいぶん薄っぺらに見える。  観察する僕の目線に気づいてか、クロイツはその奇妙な作りの理由を解説してくれた。元は壁の中に荷物の上げ下ろしをする空間があったところに、雨風除けの屋根と壁をつけたのが始まりらしい。  通関の窓口として使われているその建物には、たしかに入り口の扉が存在しなかった。かわりに厚手の毛氈《もうせん》が二枚、隙間を空けて垂らしてあるだけだ。 「よぉ、おふたりさん。俺がいない間、元気にしてた?」  ついでに言うのであれば、床もなかった。踏み込んだ足の下では、じゃりじゃり砂が噛み合う音がする。そんな空間であるにも関わらず、小屋の中は見た目よりも広く、なにより暖かかった。吐き出した吐息の熱が煩わしくなって、僕は襟元の釦《ぼたん》を外す。 「心配されるまでもなく壮健であったぞ。そしておまえが来るまでは、機嫌もよかった」  円筒型のストーブの隣に座った女が、こちらも見ずにそう告げた。濃い青の軍装がよく似合う、やたらに背の高いひとだ。ぴんと伸ばした背筋には、武芸者のような風情がある。  クロイツは芝居がかった動作で肩をすくめると、ずかずか小屋の奥に進んで行った。 「お邪魔します」  と改めて声をかけながら、僕も彼に続く。ただし、足取りはなるべく静かに。 「おや、珍しいね。連れがいるのか」  そう声を発したのは、硝子窓の前に陣取った男だった。その左手首にはめられている腕輪は、一切の継ぎ目を持たない二連の木の輪。領内への人民や荷物の出入りを管理する、どこにでも必ずいる役人の印だ。  色は柳煤竹《やなぎすすたけ》。紛《まご》うことなきトゥーリーズの所属を示すものである。 「今日は正式に外へ行くのかな?」  役人の男の言葉に、クロイツは首を横に振る。 「いや、ちょっと用事があってな。ここが一等落ち着くから、ここで待たせてもらいたい」  男は丸眼鏡の向こうにある目を細めて、さも嫌そうな顔を作った。いっぽう僕はクロイツの台詞の意味を取り兼ねて、思わず首を横へと傾ける。  こちらを一瞥した軍服の女がすかさず口を開いた。 「……この男はな、ひとには言えないやり口で、領内の厄介ごとならなんでも知っているのだ。だからこいつの用事というのは、絶対にろくでもないことだと相場が決まっている」  小屋の中は薄暗く、よく見れば彼女の瞳がぎらぎら光っているのが見て取れた。ハイロと同じ、月と星のある明るい夜空の色である。 「ひと聞きの悪い言い方はやめろ。猫のくせに背中伸ばしやがって」 「二足歩行のときは、背を丸めているほうが肩が凝《こ》るのだ。喧嘩なら高値で買ってやるぞ」  クロイツはこれには言葉を返さず、黙って袖を捲《まく》った。  しかしながらハイロがそうであるように、女の上背は僕よりずっとありそうだ。僕よりも小さなクロイツが、殴り合いの喧嘩で勝てるとは思えない。 「ふたりとも、やめなさい」  どちらを止めるか悩んでいたら、窓のほうから声がかかった。声をかけた当人の近くにある窓から、男女ふたりが中を覗き見ている。  その不安そうな目線を認めた僕はそっと壁際に――窓から見えにくい位置に寄った。同時に青い髪の女は黙してストーブを睨《ね》めつけ、クロイツは爪先立って吊戸棚に手を伸ばす。 「これ、親切でかっこいいお兄さんからだって言って渡して」  棚上にあった缶から掴み出された飴玉の包みが、宙を舞った。 「あちらの軍人のほうから。私物ですので、どうか内密に」  受け取った役人の裏切りは一瞬だった。  開いた窓から飴を差し出しながら、空いた手のひと差し指を唇の前で立てる。 「どうやら〈壁の外《トゥーラ》〉からお越しのようですね。ご用向きはいかがなものでしょう?」 「商いに参りました。ようやく品物が揃ったので」  応じる男の声は妙に震えていた。その声色を耳にして、僕は慎重に窓の外をうかがう。  男のほうも女のほうも、ひどく窶《やつ》れた姿だった。そして言葉とは裏腹に、彼らのそばに荷物がある気配はない。そんな彼らの様相に、僕は自分の判断が正しかったことを悟った。同時に痛ましいよりも申し訳ない気分に襲われて、僕は背を丸める。  でき得る限り小さくなって、誰にも見えなくなりたかった。  ――この国をどうなさる御《お》心算《つもり》かと、苛立ちを隠そうともしない声が聞こえたような気がした。それはともすれば僕にとって両親よりも親しい、先生の声。  目を閉じれば最後、先生が投げつけた紙が飛び散る様《さま》まで見えてしまう気がして、僕は目を開くことに注力する。 「行商ですか。近ごろではすっかり珍しくなりましたから、トゥーリーズの人間にもありがたいでしょう」  そんな僕の目の前で、役人の男は柔和に微笑んだ。 「どうぞ、ゆっくり滞在なさってくださいね」  窓の外の女がうなずいて、滞在証となる割符を差し出す。今にもちぎれそうな組紐で束ねられたその数は、三――クロイツが飴を渡せといった相手の正体に、僕はなんとなく思いを巡らせる。  ここから姿は見えないが、きっと子どもがいるのだ。そして彼らの正体も行商などではない。あれは自分たちの暮らす領地で税が払えず、首か腹を括るしかなかった難民だ。  先生が母の足許に放った紙に名を綴られていた、哀れなひとびとと同じ。目の当たりにしたのははじめてだが、彼らをそれだと判じるだけの知識は僕にもあった。丸眼鏡をかけた役人にも、それがわかっていないはずはない。そうでなければ、彼があんなにまで明るい声を出す理由がない。  ――アマリエなどは自分の主人の統治に全幅の信頼を寄せているが、あれにはこういう絡繰《からくり》があるのだった。エクリールは先生の友人であり、同時に賛同者である。裏を返せば彼は王妃に対する反逆者であり、その治世によって追い詰められた者を〈壁の内《トゥーリーズ》〉へと匿う絶対的な庇護者だ。そして今はまだ、その所業を王都から咎められるに至っていない。  だからこそ、役人の男は馴れた様子で、行商だと名乗ったふたりに宿と手続きの案内をしている。その調子に釣られてか、応じるふたりの声も少しずつ生彩を帯びて来た。  けれども、子供の声は聞こえない。  もしやと嫌な想像が脳裏をよぎる。が、それが明瞭になるより前に、クロイツが動いた。  彼はその手に缶をたずさえ、大股に窓のそばへ歩み寄る。役人の男がそれを止める間もなく、缶は窓の隙間へとねじ込まれた。  それを受け取るべく伸ばされたのは、小さな小さな、子どもの両手。 「あそこにいる女は子どもを太らせて食うのが趣味だからな。なるべく高いところで、見つからないように達者で暮らせよ」 「うん!」  応じたのはまだ高い、男の子の声だった。  それを聞いた僕は、どこか安堵に近い気分で砂の上に座り込む。嫌な想像は形を成すこともなく、掌上に落ちた雪片よりも儚く消えて行く。  そのうち短いようで長い時間が経ったころ、襟を後ろから引っ張られた。ぐぇ、と出したことのない声が口から漏れる。 「ルカ、おまえは割と普通に馬車で王都から来た手合いだって聞いたぞ。それとも波瀾万丈《はらんばんじよう》の亡命秘話でもあんのか? え?」  慌てて立ち上がると、顔全体で呆れたふうを見せるクロイツと目が合った。こうして至近距離で並んでみると、やはり彼のほうが僕より小さいのだとわかる。 「まぁたしかに、それはないんだけど……」  真逆に、向こう側で立ち上がった女はやはり僕より大きかった。  その無表情から察する限り、どうも彼女はヒトに化けるのが得手ではないらしい。それでも毛布を抱えたその姿から懸想するに、心配はしてくれているのだろう。できる限り頭を下げると、彼女は首を横に振る仕草で応えた。  クロイツの側はすんと鼻を鳴らして、掴んだままだった僕の後ろ襟を離した。  それを合図にまた言い争い始めた二者の姿を、僕は呆然と眺めるよりほかにない。 「ああいう難民を見るのは、はじめてかな。王都にはほとんどいないらしいし」  役人の男のほうから声をかけられて、ひとつうなずく。 「……僕の出身をご存知なんですか?」 「ええ。君ね、窓に鎧戸のついた四頭立ての馬車でここに来たでしょ? あれの入領手続きね、全部僕がやったの」  灰色の木の腕輪をはめた手で、男は窓枠に頬杖をついた。 「王妃様の御膝元――王都のあたりと比べると、辺境は税の取り立てが厳しいんだよ。なにせ目が届かないぶん、ある程度は額をそろえないと、監査役も来ちゃうしね」  笑い含みの言葉に棘はない。そう判じて、僕は頭を掻く。 「驚いてしまってすみません。自分でもちょっと情けないんですけど……」 「衝撃だったと正直に言ってくれても怒らないよ」  男はからからと快活に笑ってから、まだ言い争いの渦中にあるふたり組を一喝した。  とたんに女は巨躯を丸めるようにして小さくなった。なぜか知らないが、クロイツのほうは勝ち誇ったように胸を張る。  役人の男は溜息とともに首を振り、ふたたび僕のほうへと向き直った。

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