戴冠、或いは暁を待つ | 一章:女王と新しい仕事
かなた

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「言いたくない、か」  僕の話を聞き終えたハイロは、大きな掌で自分の顔を撫でつけた。ついで考え込むようにぐるぐる唸る。獰猛そのものの響きはしかし、僕の中にある恐怖を呼び起こすことはない。 「いくつか心当たりはあったんだけど、なんだかどれも違いそうだ」 「たとえば?」 「――あいつ、そもそもアルシリアへは西方《せいほう》司令部の様子見に行ったんだよな」  アルシリアというのは、ここトゥーリーズとともに西方の枠組に入れられた都市だ。西方にはみっつの都市があるが、アルシリアには残りふたつと異なり、王都からほぼ平坦な道程で訪れることができる利点があった。  よってそこには王都の命を受けて、西方を管轄する西方司令部が置かれている。 「それで、これは本人じゃなくて、前にいっしょに行ったやつの話なんだけど」  花《はな》紺《こん》の軍服をまとったひとの姿を想起しながら、僕はうなずいた。 「ちゃんとした手続きなしで街を出ようとするやつ――難民をさ、こう、軍人が撃とうとするだろ。それに向かって石を……」 「ひょっとして、投げた?」 「らしい。それで王都寄りのほうの見張りに左遷されたって話なんだよな」  ハイロは肩をすくめた。 「盛ってるって弁護してやりたい気持ちは山々なんだけども……」  僕はなかばどころか本当に呆れた気分で、手中のパンをかじる。表面にまぶした唐黍《とうきび》粉《こ》の香ばしい味わいを感じて、一瞬だけ行く手を遮《さえぎ》る問題から思考が逸れた。  というか僕は、相当最初のほうからこの問題から逃げたいと思っていたのだ。唐黍粉など後づけの理由に過ぎない。頭の痛い気分で口に含んだものを嚥下する。  僕を置いて行ったあの魔術師は、今なにをしているだろう。ろくでもない行為に手を染めていなければいいけれど、などと考えてから、僕は一旦彼について考えることをやめる。正確には、やめるという決断を下した。  これ以上彼について考えても、頭と胃が痛くなるだけだ。どうせ最後は直面する羽目になるのだから、今から不快な思いをする必要はない。 「僕の新しい仕事については、もうその辺に置いておこう」  ハイロはうなずいてから、果敢にスープの入った器を手に取る。ちぎったパンをそこに浸して口にし、ほとんど丸呑みにした。  その後続く言葉がないところを見るに、パンの浸漬は僕らが直面する問題の解決策にはなりえないようだった。 「ところで、君のほうの修行は順調? アマリエが心配してたけど」 「……さては、糸始末用の針に問題があったな」  ぐるぐると唸る声音は先程のものとは違い、単純に気分の沈みを示すもの。彼は水差しからコップに水を注ぎ、それをひと息に飲み込んでから、溜息混じりに言葉を発した。 「正直、まったくもって順調とは言い難いね。今朝だってまたいい加減に髪を切れって」  僕の短髪と比べるまでもなく、ハイロの髪は長い。  もっともそれは彼に限った話ではなく、彼の同族はおおむねが髪を伸ばしている。ハイロの場合はそれを後ろで結っているが、本当は解きたいというのが彼の口癖でもあった。 「燃えたら危ないって?」 「そう。でもほら、切ると生えて来ないから」  最後に深々と溜息をこぼしてから、ハイロは冷めたスープに口をつけた。酒でも煽《あお》るように器の底を見せ、一拍遅れてむせ返る。  自棄《やけ》酒ならぬ自棄スープ。  塩分濃度からすれば一気飲みは酒と同じくらい危険だが、気持ちはわかる。だからこそ僕はやめろとは言わない。かわりに水差しからもう一杯、コップへ水を注ぐ。 「鬣《たてがみ》だっけ、それ」  ハイロは、未だ鍛冶場で鋼を打ったことのない見習いだ。たまに縫い針やちょっとした刃物を研ぐぐらいが精々で、ほとんど工房の小間使いのようなことばかりしている。だからこそ髪を切り、本格的に修行へ励《はげ》もうという気がでんで起きないのだ――といつだか彼は口にしていた。その気持ちは、王宮暮らしの長い僕にだってわからないではない。  だから僕は問いかけを重ねることもなく、ハイロが水を飲み干すのを見つめていた。 「いいや――」  コップが空になるのとほぼ同時に、彼は否定の声を発する。すぐに言葉が続かなかったのは、おそらく過剰な塩分で喉がひりついているせいだろう。  突き返されたコップを受け取り、僕は三《み》度《たび》コップに水を注ぐ。 「尻尾だ」  言葉尻を攫《さら》った声は、部屋の外から。けれども鍛冶場に籠り切りのラリューシャのものではない。飄々《ひようひよう》とした風情のその声は、窓の向こうから響いた。  注いだ水を受け取ることさえ忘れて、ハイロがあんぐりと口を開ける。  対する僕はというと、さほど驚きはしなかった。先《さき》んじて頬を叩く風があったせいだ。  ――屋外の寒さを遮断するための二重硝子の窓が、開いている。目をやってその事実をたしかめてなお、やはり驚嘆を覚えることはない。  むしろ違和感を覚えたのは、その窓枠にもたれた人影があることに対してだった。なにもわざわざそこから顔を出すことはなかろうに、と僕は思う。 「まだ切る切らないで揉めてたのかよ、おまえは」  ましろの外套を羽織った姿は、見覚えがあるで済ませるには印象が強い。 「そんなんだから、おまえはいつまで経っても見習いなんだよ。可哀想なこった」  笑う面を縁取るのは、外套を彩る細やかな金糸の刺繍。霜華《しもばな》を模すそれに過剰な派手やかさを感じないのは、中身が伴っている結果である。  少女のように笑うかんばせに対し、ハイロは眉間にはっきりと皺《しわ》を寄せながら応じた。 「そんなことは俺が一番よくわかってる」  白外套の魔術師はゆっくりとひとつ瞬《まばた》きをする。応じるように、ハイロはトレイの上に載せられた小鍋を示す。 「で、よかったら昼飯食って行くか? まだ山ほどあるぞ」 「うはは、いらねー。どうせおやっさんの作ったスープだろ、塩の量すげぇもん」  僕らが思っても口にしないことを、クロイツはなんの躊躇もなく口にする。  ラリューシャの弟子であるハイロは口許を曲げてから、僕が差し出したコップを取り、酒杯のように中身を干した。 「そもそも窓はどうしたんだ、窓は。鍵はかけてあったんだぞ。新しい魔術か?」 「こんな錠前ごときに俺が魔術なんて使うかよ。大体この部屋の窓ならな、外から引っ張れば一発なんだぜ」 「……壊れてるなら早めにそうと言ってくれ」  ハイロは溜息とともに立ち上がる。堂々たる偉丈夫と言い得る彼だが、その立ち姿に威圧感は感じられない。  かえって草臥《くたび》れて見えるのは、その背に哀愁と呼べるものが見て取れるせいだろう。 「さてルカ、待たせて悪かったな。今日の仕事先が見つかったぞ」  窓の錠を改めはじめたハイロをよそに、クロイツは僕のほうを見る。了解を示すべくひとつうなずいてから、僕は手許を見た。スープは注いでもらったときからあまり量が変わらない。パンはあとひとかけら。  少し迷ってパンを口に放り込み、ためらいつつスープの椀を手にする。なるべく被害を減らすべく、口をつけるときは舌をすぼめた。おかげでスープの塩気で舌が痺れるようなことこそなかったが、ひとの体の異物を排斥する機構は舌だけではない。  えずきそうになるのを堪えて飲み干せば、熱に似た感覚が後から喉を灼《や》く。 「おーおー、無茶すんなぁ!」  茶化すクロイツをよそに、ハイロが近くへ駆け戻って来る気配がある。  差し出された水を飲んでも、冷たさは微《み》塵《じん》も感じなかった。――した後悔よりしなかった後悔のほうが大きい、なんて言葉は絶対に嘘だ。今ならそう断言できる。しなくて済むことなら、しないほうがいい人生を送れる。それこそが人生の絶対的な真理に違いない。  哲学とでも呼ぶべき境地に達したまま、僕は工房を後にする。もちろん、ラリューシャ老への礼儀としての挨拶も忘れない。間違っても、恨み節などぶつけていない。  そうして隣の工房との隙間にある細い道を抜け、工房の裏手へ抜ける。金物商《かなものあきな》い通りと鍛冶屋通りの間隙にある細い路地には、ふたり分の笑い声が谺《こだま》していた。クロイツとハイロが他愛のない話をして上げる、愉快で愉快で仕方ないと言わんばかりの笑い声。  彼らが具体的にどんな話をしているかは聞こえなかったが、どうせ若い男に特有の馬鹿な話だろうと想像はつく。僕も同年代の男たちとはそういう話をすることがあるし、ハイロとだって少しぐらいならしたことがあるのだ。  もっとも僕の友人たちは、彼らより少しは上品な会話をしていたとは思うけれど。 「クロイツ」  僕が呼ばわると、白衣の魔術師はフードを被ったまま、顔だけをこちらに向けた。僕の存在を今思い出したと言わんばかりの面には、まだ笑みの気配が濃い。 「んじゃ行くかね。……ああいやその前に、ハイロ、ついでだから箒貸してくれ」  こちらに顔を出していたハイロが、言葉に応じてするりと引っ込む。 「箒……は工房のほうだな。普段使わないブラシならあるんだが」 「持ち歩いてておかしくねぇ棒ならなんでもいいわ」  やり取りの末、窓から差し出されたブラシは、僕にも見覚えのあるものだった。ほかならぬハイロが、工房の前を磨くために使っているものだ。  クロイツはそれを受け取ると、さぞや大事そうに腕に抱いた。 「もし折れたら役所か宿舎のやつをちょろまかして来るから、安心してくれ」 「安心する要素がないだろ。アマリエに殺される前に買って返せよ」 「俺に金がねぇのは知ってんだろ」 「小銭くらいあるのは知ってる。というかおまえはそもそも……まぁ、いいか」  ハイロはふたたび窓から顔を出し、そのまま身を乗り出して僕を見た。  書いたばかりの没食子《もつしよくし》インクに似た特有の青黒の瞳には、心配の色が溶けている。その瞳でしっかりと微笑《わら》い、彼は言った。 「できるだけ気をつけて行けよ、ルカ。こいつは俺たちが考えるより数段上の馬鹿だから」 「馬鹿とは失敬な」 「……もし困るようなことがあったら俺に言え。どうにかしてやる」  僕がうなずくと、ヒトの姿の獣は目を細めて魔術師を見た。  それはほかでもない、獲物を狙う獣の視線。あるいは己の領域を侵犯《しんぱん》した外敵に向けるのと同じ、僕が向けられたことのない眼《まな》差《ざ》しだった。  ――僕ははじめて彼に出会ってこの方、彼を大きな家猫《いえねこ》だと思っている節があった。けれどもハイロは僕やアマリエが考えるような、親しみやすい獣ではないのだ。  本来であればその正体は、ヒトには及びもつかぬほどの獰猛な獣にほかならない。意図せずしてその本性を垣間見てしまった気がして、思わず息が詰まる。 「ちゃんと面倒は見てやれよ。なにかあったら許さないからな」  しかしながらその瞳に見つめられたクロイツの顔には、怯えもなく畏怖もない。 「おまえは過保護だなぁ」  整い切った顔に浮かんでいるのは、呆れがすべてだ。それを認めて、ハイロは肩を戦慄《わなな》かせる。  けれども最後は怒りの気配をしっかりと納めて、彼は僕に手を振ってくれた。 「じゃあ、改めて行ってらっしゃい」 「行ってきます!」  こうして工房からどこかへ出て行くというのは、帰路に着くのと、ハイロに同行するのを除けばはじめてのことかもしれない。それを思って、出立の挨拶は少しばかり弾《はず》んだ。  どうやら僕はまっとうに自分が為《な》せる仕事があるという事実を、思いのほか喜んでいるようだった。  そんな僕と並んで裏路地を抜けた先で、クロイツは坂の下を指し示す。袖の裡《うち》に隠れていた細い指は、陽の光とは縁遠い白さ。 「仕事先が見つかったんだよね」  問うと、うなずく。 「アルシリアに戻る……わけではないよね」 「俺としては大将の御膝許を離れたい気持ちでいっぱいなんだけどね。おまえを連れて街の外に行くわけにもいかねぇし、そこについては我慢の子ってことで」  自慢ではないけれど、僕の指も彼に似たり寄ったりのものだ。王侯貴族の令嬢としてはやや荒れているように思うが、それでも苦労を知らない手指である。  その事実をなんとなく恥ずかしく思って、僕はそっと袖口の折り目を変えた。拳を握って指先を隠し、歩き出した白い背中を追う。 「ならどこへ、なにをしに?」 「とりあえずは大将から、街の様子でも見て来いとよ」  鍛冶屋通りの坂には石畳が敷いてある。下には暗渠《あんきよ》があるとハイロに聞いたが、それをたしかめたことはなかった。  そもそも僕がこの街について知っている情報など、ハイロに聞いたことばかりである。自分の足でたしかめに行こうとか、そういうことは今まで一切考えて来なかった。  なにせ僕にはエクリールを笑えないほどの、大層な箱入り娘だった過去がある。だからひとと話すのが好きではない。苦手、あるいは嫌いと断じてもよいだろう。ゆえに実地調査や聞き込みなど、もってのほかであったのだ。  僕はアマリエにひと攫《さら》いの危険性について訳知り顔で警告したけれど、あれさえ宿舎の食堂で聞いた警《けい》邏《ら》担当の言葉を借りたに過ぎない。その事実に自己嫌悪をもよおしながら、僕は相方のほうに目をやる。  白い布地に包まれた頭は、歩くにしては妙に上下動が大きい。胡乱《うろん》に思って目線を落としてみれば、彼が石畳を構成する雑多な石のうち、色の濃いものだけを選んで跳んでいるのがすぐにわかった。 「そこで、だ。今日は朝っぱらから出かけて、おまえの本業にもちょうどよさげな現場を確認して来たのである。本日はそこに行くものとする」  石畳を形作る石はすべて適当に並べられたものだ。ともすれば、次の足場まで相当な距離がある場合も少なくない。けれどもクロイツは、特にそれを苦にする気配もなく、軽々と跳んで次の石を踏む。 「……で、具体的には?」  その足取りは意外に早く、僕が歩く速度と大差ない。というか、僕より少し早い。 「言うとおまえが土壇場で逃げるかもしれないから、秘密だ」  一足飛びで距離を稼いだクロイツは、また短い距離にある石を小刻みに踏んで行く。 「別にどこだって逃げないけど」  彼は色の濃い石ならすべて律儀に踏むから、石の配置によっては追い抜くのも難しい話ではない。そうして白い姿が見えなくなったことで、僕は急《せ》いていた足を緩めた。 「逃げたときに面倒だから」  するとまた追い越されるものだから、彼と一定の距離を保つ努力は取りやめにする。 「もし逃げられたら、千里眼でも遠耳《とおみみ》でも……なにかあるだろう」  白い背中へ声だけを投げかけると、一瞬、その姿の進行が止まった。 「ねぇよ、そんな便利なもんは」  目を瞠《みは》る。  その表情を見たわけでもないくせに、クロイツはつまらなそうに鼻を鳴らした。 「あんなのは上から数えたほうが早いやつらの専売特許みたいなもんで、使える連中は雇われなんざほとんどやってねぇぞ」  とんとんとふたつ石を飛び越えた彼を見送ってから、僕は止まっていた歩みを再開する。 「おまえ、どんだけいいとこの生まれだよ」  呆れたような声音に、おずおずと口を開いた。 「いちおう王都の生まれなんだけど」  言いつつ、思い出したのは僕の先生のことだ。先生は先生と呼ばれていたけれど、本職は僕の家庭教師役《先生》などではない。あのひとは父の――国王の相談役として仕えるべくして生を享《う》けた、竜の名代《みようだい》たる黒《こく》髪黒瞳《はつこくとう》の魔術師である。  だから先生は王宮の離れからでも、なにひとつ見えないものを持たず、聞こえないものを持たなかった。  でもよくよく考えれば、先生は死後竜の御許《みもと》へ仕える事が決まった魔術師であったし、あれは規格外と呼びうる腕前だったのかもしれない。魔術師なんて得てしてこんなものだと思う――と僕に教えた先生の台詞には、ちゃっかり「思う」などという逃げ道までくっついていたわけだし。  そのように頭の中の抽斗《ひきだし》を整理するうち、僕はまたクロイツの背中を追い越している。背後からの跳躍の音はない。坂の下に目を向ければ、延々と白灰の石が続くばかり。  僕は思わず足を止め、クロイツの姿を振り返った。  魔術師は、いくぶん高い位置から僕を睥睨《へいげい》している。目が合うと、さも面倒くさそうに端に寄れと手振りで示された。 「……お前に勘違いされないように言っとくけど」  従って、名前も知らない工房の壁に背中をつける。にわかに尖晶石《せんしようせき》の瞳が素早く動き、反対側の建物を成す煉瓦の目《め》地《じ》を追った――などと思った刹那、魔術師は跳んだ。  助走もなく、予備動作もない。ちょっとした溝でも踏み越える気安さで、前へ。下へ。跳躍の最中に煉瓦の壁を蹴りつけて、音も立てずに着地する。 「俺は魔術なんてもんはみっつしか使えねぇからな。あれはどうした、これはどうしたって話は端《はな》ッからするだけ無駄だぞ」  降り立ったその先で、クロイツがはじめて僕を振り返った。彼の肩越しに見える道の先はもう斜面ではない。坂道の終わりはすぐそこだ。  僕は大きく深呼吸をしてから、彼との距離を埋めるべく、駆け出した。

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