戴冠、或いは暁を待つ | 一章:女王と新しい仕事
かなた

03

「それで、その仕事を受けたのか」  鍛冶工房に設《しつら》えられた一室、住み込みの弟子たちのために用意された空間で、ハイロはくるりと目を丸くした。  白昼の室内において、彼の瞳は深い瑠璃の青を呈している。そのまなこを視線だけでうかがい見ながら、僕はひとつ首肯した。 「だって、エクリールからの仕事だし……」  それもそうかとハイロは太い指で鼻の下を擦《こす》った。――この大柄な獣はラリューシャの使い走りとして、よく領主邸の敷地にも顔を出す。それもあって彼は、僕の本来の〈仕事〉を知らないわけではない。同時に、エクリールの体質のことも少しは詳しく知っている。  それは大いに度を越した、獣とヒトの弱い部分を寄せ集めたような虚弱体質。拾える病ならなんでも拾う、感心するほどの病弱さ。口さがない連中などは、決まって「棺桶に片足を突っ込んでいる」だの「最果てのあるじと古い舞曲《タランテラ》を踊っている」だのと言う。  けれども、ハイロは一度たりともそんなことを口にしない。  なにを言われてもさらりと流して、仕方がないよと微笑《わら》うだけ。それと同じ声音に心地の好《よ》さを感じながら、僕はまたひとつうなずいた。  それから自分たちが座った床の上――トレイに載せられた小鍋を見る。  昨晩、エクリールから新しい仕事を命じられた僕は、今日もまたクロイツに連れられてこの工房を訪れた。そして彼は適当に〈見せてもよいもの〉を見繕って来ると言い残し、僕をここへ置いていったのである。  そこへ至るまでの経緯を聞いてのハイロの言葉が、先のひと言だった。  彼は僕の視線に気づくと、深い青の瞳で鍋を見やり、 「……二杯目?」  子猫のように首をかしげる。僕は迷うことなく頭《かぶり》を振り、鍋の中身は不要だと示した。  眼前に置かれた蓋付きの小鍋の中には、ラリューシャが手ずから作ったスープが入っている。ついでにいうなら厨房の大鍋にも、何倍もの中身が残っているはずだ。それは僕の目前にある器にも申し訳程度に注がれているけれど、口をつける気にはなれなかった。  ハイロだって、おそらく同じことを思っている。  なにせラリューシャの作るスープは、とにもかくにも塩辛い。こんなに塩が溶けるものかと感心することもあったし、そもそも鍋の底で溶け残りの塩がじゃりじゃり鳴っていたこともある。当然ひとが飲むようなものではないというのが、たぶん僕とハイロの共通見解だ。  たぶん、としか言えないのは、単純に僕らがそれを口にしないからである。 「俺からひとつ言うとすれば、頑張れ、かな。あいつも悪いやつではないんだが」  ハイロはそのように告げてから、すでに冷め切ったスープに口をつけた。続く嚥下の音はひどく小さい。ひそめた眉を隠しもせず、器を元の位置へ戻す。 「アマリエもそんなことを言ってたなぁ……」  僕はスープを口にすることはせず、持ち込んだパンをかじった。  そうして思い出すのは、出がけにこれを渡してくれたひとのこと。つまりはエクリールの侍女見習いにして、ラリューシャの孫でもあるアマリエのことだ。  話は、昨夜にさかのぼる。  * * * 「へえぇ、ついに目付役がつくんですね。いい気味です」  とアマリエは言った。  僕が思わず目を丸くすると、わざとらしい咳《せき》払いをひとつ。それでもさも楽しそうな、嬉しそうな、底意地の悪い顔は隠し切れていない。  思えばこの小さな侍女は、主人に忠誠を誓っている。それはもはや盲信と呼んでも差しつかえのないものだ。だからこそ彼女は、エクリールの親戚筋の御《ご》落胤《らくいん》かなにかということになっている僕に対しても、いろいろと便宜を図ってくれる。  そしてどうやらエクリールへの敬意に欠くクロイツに対しては、敵意にも似た感情を抱いているらしい。というのを、僕は今はっきりと確信した。 「とは言え、別に仕事ができない男ではないんですよ。ちょっとふるまいに問題があるだけで」 「それは仕事ができない人間より、よほどひどいとは言わない?」  こちらからの言葉に、アマリエはふふふと笑う。続く否定の言葉はなかった。  なので僕も少しだけ苦笑を漏らして、手元の本へ目線を落とす。  史書ではなく、王都から持って来た蝶の図鑑だ。木版画によって再現された蝶の羽は、ひとの手が刷り上げたとは信じ難い精《せい》緻《ち》の極《きわ》み。この雪深い国にはいない種は、とくに鮮やかな色の顔料で刷られている。  アマリエはそれをちらと覗いてから、自分の手中に目線を移した。正確には自身が握る細い鉤《かぎ》針《ばり》と、それが編み上げる一本の糸に。  侍女見習いである彼女が担当する本日の仕事は、もうすべて終わっている。ゆえに彼女はこうやって、手工芸を学ぶことに精を出しているというわけだ。ちなみに食堂の隣の談話室で僕と同じ机を使っているのは、蝋燭の節約のためである。 「しかしまた、ずいぶんと急な話ではありますねぇ」  糸玉から吐き出される綿《めん》糸《し》は、蚕の作る繭糸のよう。染みひとつなく洗《せん》練《れん》され、すべらかな表面には毛《け》羽《ば》立《だ》ちのひとつもない。無数の通りのすべてが職人の名を冠《かん》する、工業都市たるトゥーリーズの職人の手から成る逸《いつ》品《ぴん》だ。  その長い糸を鉤針ひとつで編み上げるアマリエの器用さには、僕など感心することしかできない。さすがはトゥーリーズ育ちの娘と言うべきか、鍛冶師として名高いラリューシャの孫と言うべきか、とかく彼女はこういう仕事がうまいのだった。 「アマリエも、心当たりはない?」 「ない……というより多すぎるんです。あいつ、ルカ様がいらっしゃる前にはひったくりの肩を外したこともあるんですよ」  それ以外にも――と言いかけて、彼女は首を横に振る。上げればきりがない、とでも言いたげな所《しよ》作《さ》だ。僕はついつい眺めていたレース作りの動きから、アマリエ自身の顔へと目線を移す。  ラリューシャ譲りの赤銅《しやくどう》の瞳が、こちらを見返して瞬《またた》いた。 「ルカさまは、エクリールさまに理由をお尋ねにならなかったのですか?」  問われて、肩をすくめる。 「聞いたりして、嫌な仕事を押し付けたかも、なんて気を使わせたくないじゃない」  アマリエは納得した様相でうなずいた。 「たしかに、あの方はなんの拍子に倒れるかわかりませんからね。心中お察しします」  ――談話室の外からは水音が聞こえる。夕餉のあとの洗い物をするための音が。  僕はこの宿舎に身を寄せているのだけれど、実のところ日々の雑事とは縁がない。それは僕があくまでエクリールの客人扱いであると同時に、そもそも壊滅的に家事の腕がないせいでもあった。才能がないというよりも、不慣れが過ぎて効率が悪いのだ。  おかげで日々の雑事に参加できない僕がここで暮らせるのは、エクリールの威光あってのこと――よって、僕はできるだけ彼の負担になりたくないと思っている。そしてもしも彼から頼られるのなら、可能な限り素直に力添えをしたいと考えていた。  だからこそ僕は夕刻、自分の話し相手にエクリールではなく、クロイツを選んだのだ。  エクリールへの負担を避《さ》けた上で、自分自身が納得のできる仕事をしたいと思ったがゆえの、苦肉の策である。その顛末を語るには、もう少し前の時間にさかのぼる必要があった。  * * * 「いや、普通に言いたくねぇ」  クロイツの返答は明瞭だった。 「言えない、ではなく?」 「二回言わせんな。話してやってもいいが、はじめから最後まで話すと丸一日かかる」 「……またずいぶんと長いな」 「だから言いたくねぇって言ってんだろうがよ」  予備の角燈を手に出た役場の廊下で、白衣の魔術師はしっかりと腕を組み、壁にもたれかかっていた。その婉麗《えんれい》な顔には面倒くさいとはっきり書かれている。もはや大書の域と呼んでも間違いはなさそうだ。 「おまえが大将の頼みを断れないのは知ってる。それにな、おまえがあいつの親戚筋なんかじゃねぇのは見りゃわかるんだよ、見りゃ」  その言葉に釣られるように、僕は自分の姿を見下ろした。外套の下にある身体は肉付きが薄く、丸みに乏しい。着込んだ服は宿舎で借りた麻のシャツとズボン。どちらも男物。僕の身体は女らしさとは程遠く、こういう服のほうが自然に見えるのだ。  しかしながら、クロイツが言う「見ればわかる」はそういうことではないだろう。  僕は視界にかかる前髪をつまんで、ずいぶんと前から用意してあった台詞を口にする。 「遠縁《とおえん》の外戚《がいせき》かもしれないよ」  エクリールが生まれた伯爵家の人間は、誰も彼もが銀の髪と青の目だ。  なにせ彼らの父祖は、旧《ふる》い獣と交わって久しい。失礼を承知で家畜にたとえるならば、品種の改良が完結し、安定した子が生まれるようになったあたり。だからこそ僕は色を理由に身分を疑われるなら、こう答えようと最初から決めていた。  そんな応えに対する魔術師からの答酬《とうしゆう》は、まず第一に鼻で笑うという単純きわまりない所作であった。 「嘘つけ、そんなもんいるか。法螺吹くなとは言わねぇけど、馬鹿は馬鹿なりに少しは大将と相談してから喋れよな」  夜明け前の空に似た黒い瞳には、侮《ぶ》蔑《べつ》と憐憫《れんびん》の色が浮かんでいる。その瞳でしかと僕を見据えて、彼は続けた。 「そもそもおまえ、どうせあいつの頼みを断るつもりなんて端《はな》ッからねぇだろ」  言い切る声音はといえば、ひとりでに唄うという御伽噺《おとぎばなし》の銀鈴《ぎんれい》を想わせる響き。  対する僕が怯んだような気分になったのは、彼と先生がよく似ていることもあったが、放たれた言葉が擁した刃の気配を感じたせいもある。 「俺を呼んだのもつまり、自分が後腐れなく仕事をしたいっていうだけの話だ。違うか」 「それは、まあ、そうなんだけど……」  歯切れの悪い僕の言葉に、魔術師は唇の端を吊り上げる。背丈なら僕のほうが高いはずなのに、見下されている気分がした。  もっともそんなものは本当に気のせいで、彼は僕を斜《しや》に見上げているのが真実だ。 「とは言っても、目付役がつくのは俺にとっても悪い話じゃねぇ」 「……そういうもの?」 「なにせ俺は嘘がつけねぇからな。誤魔化しにだって限度があるのさ」  そう言ってクロイツは嘆息し、僕は合点が行ったとうなずいた。  一夜の夢と引き換えにこの国をヒトへ貸し与えた獣の王は、形而上《ここではないどこか》の最果て《ここではないどこか》へ去り往くにあたり、己《おの》が子らへみっつの命題を与えたという。  ひとつ。この地を去る自身に代わってヒトの生き様を見届け、夢物語に換《か》えること。  ふたつ。王には必ず獣が寄り添って、その治世を見届けること。  みっつ。それらの〈夢〉に、一切の嘘偽りを混ぜぬこと。  このように定めた言《こと》の葉《は》喰《ぐ》らいの黒き竜へ仕えることを理由に、獣たちは一切の嘘をつかなくなった。  そして死後同じ主を戴くことを望む魔術師もまた、一切の嘘をつかぬ生き物として振る舞うようになった――というのは、寝物語の類であるが、それ自体は嘘ではない。けれどもそれがまったくの真実かと問われれば、首を縦には振り難い。  その好例が目の前の魔術師だ。嘘はつかず、しかして他者を騙さないわけではない。そのように振る舞う生き物が、少なからず発生している。  僕は嘆息とともに左の頬を指先で撫でた。特に意味のない動きではあるけれど、こうしていると無為に落ち着く。それに伴い、唇からこぼれた言葉はいくらか滑《なめ》らかだった。 「君と僕の利害が一致する限りは、誤魔化しくらいは手伝ってやってもいいけど」  正直、僕自身は誤魔化される以前の問題に直面している。  聞いたことには答えてもらえていないどころか、答えたくないと明言されているのだ。 「……積極的な援護は期待するなよ」  クロイツはうなずいた。 「俺は頭がいいからそれで十分だ」  彼のように美しい生き物を見たのははじめてであったけれど、ここまで態度の大きな生き物もはじめて見た。王の相談役として賢《さか》しさで鳴らした僕の先生だって、こうもはっきり自分の知性を誇ることはなかったように思う。  僕が気づいていなかっただけかしら――と妙な不安を抱きつつ、深々と息を吸った。  彼の目付役の大任を受けることは、もはや撤回しようもない。が、はっきりさせておく必要がある事項は、まだある。 「あと、僕は周りに君が目付役を必要とする理由について聞くぞ。とやかく言うなよ」  クロイツはどこか優雅にも見える澄まし顔で、うなずいた。  そうして僕らは連れ立って室内へと戻ることにする。先刻「出て行け」とクロイツに命じた当人であるエクリールは、部屋の中で相も変わらず煙管の煙を呑んでいた。  部屋を照らす光源である角燈に灯されたの火と同じ青い目が、僕らを捉えてひとつふたつと瞬く。その視線を受け止め切れない僕に変わって、クロイツは僕が仕事を受ける旨だけを手短に伝えた。  ――そして、話は今へ至る。

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