王国の崩壊

◇  倉庫番に蜜を渡す際、私はいつものように少女っ気の抜けない友に蜜吸いの話をした。  初めて蜜吸いというものを教えてくれた女性の話は、彼女にとっても興味深いものであるらしい。それもそうだろう。彼女は一度も倉庫を離れたことがないのだ。数多の採集係と口づけを交わし、蜜を受け取って加工することで一日が終わってしまうのだから。 「いいなあ、一回でいいから私も花と蜜吸いをしてみたい」 「じゃあ、今度一緒に外に行ってみる? 倉庫番なら他にもいるわけだし」  軽い気持ちでそう言ってみたのだが、倉庫番はあからさまに嫌な顔をして首を横に振った。 「駄目よ。そんなことしたら|女王陛下《おかあさま》を失望させてしまうわ。それに、こうして話を聞かせて貰えるだけでも満足しちゃうしね。……まあでも、次にまた蜜蜂に生まれるのなら、今度は採集係になりたいかも」  なるほど、単なるぼやきに過ぎないというわけか。  きっと彼女は大人になることに恐怖など抱かなかったのだろう。確かに、蜜蜂の子はあまり多くの事が出来るわけではない。自由に動くのも億劫だし、大人たちに喰わして貰わねば死んでしまうかもしれない。あくせく働く大人をずっと目にしていれば、自然と自分も働きたいと思うようになるし、その結果、母に感謝されるのだったら悪い気もしない。  それでも、やっぱり彼女とも私は違うようだ。  きっと倉庫番は自分が生まれた意味なんてあまり考えない事だろう。考える暇もないほど、働くのに必死なのだろう。  とはいえ、私も暇で仕方がないというわけではないはずなのだけれど。  延々と思考を巡らせていると、倉庫番がすっと立ちあがった。 「さて、と。今貰った蜜も加工しなきゃ。君もそろそろ次の花のところに行ってあげなよ」  諭されるように言われ、私も立ちあがる。  そういえば今日はまだあの月花の女性としか蜜吸いをしていない。次は誰を当てにしようか。そんな事を考えつつ倉庫番に一旦別れを告げようとしたその時、ふと遠くから奇妙な声が聞こえた気がした。  城の入り口付近だろうか。この倉庫がある場所からそう遠くはない。  気のせいかと一瞬思ったものの、倉庫番もまた表情を変えてそちらを見つめた。 「何かしら?」  そう言い終わるか終わらないかの内に、乱暴な足音が聞こえてきたので、私は思わず腰より下げていた短剣を抜いた。  現れたのは、蜜蜂の姉妹の一人。  だが、彼女は一心不乱にこちらに走り、大声で叫んだ。 「大変だ……! 侵入者……! 攻められて――」  錯乱している。無理もない。何故なら、その体は見るも無残なほどにぼろぼろにされていた。血だらけで傷だらけ。どうにか逃げてこちらに危険を知らせに来たのだ。気持ちだけで動いているのだろう。そう思うほどの有様だった。 「侵入者……?」  倉庫番が目を丸くしている前で、彼女はついに力尽きてしまった。  何が攻め込んできたのか。答えはすぐに訪れた。この姉妹を追いかけて侵入者が三名ほど、私たちの元へと迫ってきていたのだ。  その姿を一目見て、私は息を飲んだ。 「胡蜂……っ!」  私たちよりもずっと力のある種族の者たち。その容姿から察するに、我が国の近くで栄える王国の者達だ。  しかし、腑に落ちない。彼女たちが何故、攻め込んだのだろう。我が王国と彼らの王国はお互いの存在を認めたうえで長年平穏を保ってきた。我らの母が彼女たちの女王陛下に気に入られていたのだ。同じ大精霊同士、共に長生きをしている仲。ただの虫ではない二人の間には、蜜蜂と胡蜂という種族を越えた絆があったはず。  それなのに、何故。  茫然とする私たちに向かって、胡蜂の女戦士たちは言い放つ。 「まだ元気そうなのがいたようだ。蜜蜂どもよ、大人しく我らに従え」 「何を……言って……」  倉庫番が怯えている。彼女を庇うように前に立つと、胡蜂たちは眉を顰めた。 「そのみすぼらしい剣を捨てろと言っているんだ」  一番前にいる一際目立つ胡蜂が私に言った。 「そこに倒れている姉妹のようにはなりたくないだろう? まずは武器を捨てて、我らと共にここから出てもらおう」 「そうはいかない。ここは私たち蜜蜂の王国だ。私たちが動くのは女王陛下の為だけだ。お前たち部外者の命令なんて聞けるか」  意気込んでは見たものの、私も震えてしまいそうだった。  相手は胡蜂なのだ。長年、胡蜂なんて脅威だとも思っていなかったけれど、他所では胡蜂は蜜蜂を食べることもあるらしいと聞く。この女たちと戦って勝つためには、倍以上の仲間の数が必要だった。それなのに、ここにいるのは私と倉庫番だけ。  内心怯えているのが分かるのだろう、胡蜂の女たちはにやりと笑むと何やら顔を見合わせ、もう一度、私たちへと鋭い視線を向けた。 「その女王陛下の為でもある。気の毒だが、お前たちの女王は既に我らの手中にある。この小さな国も今日で終わりだ」 「|女王陛下《おかあさま》が……?」  悲鳴のような声で倉庫番が嘆く。  私に至っては言葉すら出なかった。母が彼らの手中に? それはつまり、女王を守っていた全ての姉妹が負けたということではないのか。いつの間に。どうして。 「胡蜂の女王は私たちの女王に手を出さないんじゃなかったのか……?」  絶望と共に呟くと、胡蜂の一人はふと表情を和らげた。 「それはもう昨日までの話だ。状況は変わってしまった。心配せずとも君たちのお母様を殺したりはしない。ここではなくもっと安全な我が王国で一生過ごして貰うことになったのだ。これは我らが陛下の御意思である」 「そんなの認めない!」  倉庫番が泣き叫ぶ。  その通りだ。王国が終わってしまうなんて、そんなことを女王に生まれた者が望むわけない。  しかし、胡蜂たちの眼差しは何処までも冷酷なものだった。 「お前が認めらずとも状況は変わらない。お前たちの母は我らの女王に逆らえないのだ。今日より彼女は女王ではなくなる。我が王国で飼われるだけの存在となるのだ」 「そんなの酷い。女王を何だと思っているんだ!」  我が王国の顔を愚弄された怒りが込み上げ、短剣を握る手に力が籠る。  しかし、その怒りのあまり私が飛び掛かりそうになる前に胡蜂たちは一斉に槍を私に向けてきた。 「さて、やんごとなき御方々の話はそこまでだ。本題に入ろう」  嫌にねっとりとした言い方で彼女たちは私たちを見つめる。 「お前たちには二択やる。慎重に考えて選ぶといい。一つは、素直に武器を捨て、生きたまま我らが王国に来ること。もう一つは、愚かにもここで我らと戦い、命を落とした状態で我らが王国に来ること」  倉庫番は答えに窮して震えている。そんな彼女を庇いながら、私は彼らに訊ねた。 「お前たちの国に行ったところで、私たちはどうなるんだ?」  やっとのことでそう訊ねれば、胡蜂はにやりと笑って答えた。 「我が王国で大事に囲うのは、お前たちの母だけだ。この先、女王ではなくなるあの方には国民など必要ない。素直で可愛い蜜蜂たちにはとりあえず、我が王国の食糧庫が住まいとなるだろうね」  それって、つまり――。  真意を受け止めるや否や、私はすぐさま倉庫番の腕を握った。私たちだけで女王を助けるなんてもはや不可能だ。王国が滅ぶ未来は避けられないだろう。となれば、もはや私たちに出来る事は、私たち自身の未来を守ることだけ。  短剣を構えたまま、私はじっと胡蜂たちの動きを見張った。  そんな私の反応に、胡蜂の一人が笑みを深めた。 「やはり、抵抗するか。だが、安心しろ。それならそれで、すぐに楽にしてやろう」  来る。  その空気を読んで、私は倉庫番の身体を引っ張って動きだした。相手は三人。逃げるだけで精一杯だろう。手に握る短剣は相手の命を奪うものではなくて、飽く迄も逃げ道を作るためだけのもの。ただ真っ直ぐ逃げ道を目指して、私は走った。  しかし、行動も虚しく、足は止められた。胡蜂の一人に倉庫番の片腕が捕まえられてしまったのだ。あと少しで掻い潜れるというところだった。倉庫番ごと引っ張られ、私は慌てて握る手と踏ん張る足に力を込めた。 「放せ!」  そう叫んだところで放してくれるわけもない。  倉庫番がかなり痛がっている。そのくらい強い力で胡蜂は引っ張っているのだ。彼女たちにとってみれば、ここで彼女の身体が千切れたって別にいいということだろう。  でも、駄目だ。ここで手を離すのだけは。 「御免、私のせいで……」  その時、倉庫番が私に言った。 「君だけでも、逃げて」  身体の力を抜き、抵抗を止めた。その途端、胡蜂の強い力に負けて、倉庫番の腕が私の手からするりと離れていってしまった。  ――そんな。  逃げ道には私だけ。  倉庫番は胡蜂に抱かれたまま震えている。もう彼女が解放されることはないのだろう。王国に連れていかれた後の事なんて、想像もしたくない。  それでも、倉庫番の目は、私だけを見つめていた。 「逃げて……」  当り前の世界。有難みすら実感もなかった住まい。そんな場所であるはずなのに、どうしてこんな事になってしまっているのだろう。 「早く逃げて!」  倉庫番の叱咤のような叫びに押され、私はその場に背を向けて逃げた。情けなくも、逃げるしかなかった。  捕まった倉庫番がどうなるのか。  ただ逃げるしかない自分はどのくらい情けないのか。  深く考えている余裕もなく、私は闇雲に出口を目指した。倉庫から出口まではそう遠くなかったはずなのに、この間が恐ろしく長く感じる。どうやら本当に我らが王国は崩壊してしまったらしい。所々に残るのは血痕で、時折、見たくもない肉片のようなものが落ちている。きっと胡蜂と戦って散っていった姉妹の遺したものだろう。  しかし、はっきりとした遺体は見つからない。生きている者は勿論、あんなに居た兄弟姉妹たちの気配すら感じられない。皆、皆、どこへ行ってしまったんだ。私にとっての当たり前は、いやいや大人をやっていたあの世界は、いったいどこへ消えてしまったんだ。 「一匹逃げたぞ!」  背後から大声が聞こえ、行く手で何やらざわついた音が聞こえた。  間違いない。出口も塞がれている。女王をはじめ全ての蜜蜂を運び出した後で、倉庫のものまでを殻にするためだろう。まだまだ胡蜂たちは沢山いるらしい。  それでも、突破するしかない。  食べられるなんて絶対に嫌だった。  そして、やっと出口は見えてきた。やはり、数名の胡蜂が待ち構えている。彼らには私の姿が何に見えているのだろう。彼女たちともあまり変わらぬ外見をしているというのに、ただの肉の塊にでも見えるのだろうか。だとしたらなんて恐ろしい人たちなのだろう。  でも、その恐ろしさに身を竦めている場合ではない。 「そこを退けっ!」  短剣を握りしめて私は叫んだ。  初めて叫んだに等しい、魂からの怒声と共に、私は胡蜂たちの待ち構える出口へ、限りなく狭い未来への逃げ道へ、飛び込んだ。  ――ああ、せめて最期にあの女性の子守唄は聞きたかった。  そんなことを思いながら。

ブックマーク

この作品の評価

1pt

Loading...