病院を出て、門を通り、再度、白い廊下へとやってきた。国事部というところは先程の会議室のような部屋の一つ手前の部屋だった。ヨウはノックをして部屋へと入る。 (うわっ……)  中は学校の教室ほどの広さだった。そこには赤い綺麗な模様な絨毯が一面に敷かれ、びっしりと斜めの机のような物が置かれ、|皆《みな》が黙々と座り仕事をしている。一番奥の机にハーシムが見えた。 「何か御用でしょうか?」  一番手前に、入口に向かい机が置かれ、そこに座っていた白い服を着た黒人の黒髪短髪の男性が、受付なのかヨウに声をかけた。 「ああ……ちょっとさっき特別に、カーシャさんに使用人で雇う人の健康診断をしてもらったんだ。で、結果をハーシムさんに……」  ヨウは臆することなくカーシャから預かった書類をその人に渡す。 「……少々お待ちください」  書類に一通り目を通すと、男性は立ち上がり、部屋の奥へと向かった。そして、ハーシムに声をかける。ハーシムがこちらを見た。書類を手にして立ち上がりこちらへやってくる。 (う……怖い……)  佐知子は少し緊張した。 「問題なかったようだな」  ハーシムは二人の前に来るとそう言った。 「ああ……これで使用人小屋に行っても大丈夫か?」 「ああ、問題ない。仕事の当番や給料の詳細についてはおって書記官を遣わす。娘、仕事に励めよ」  ハーシムは切れ長の金色の瞳でじっと佐知子を見つめた。 「は、はい!」  佐知子は姿勢を正し、そう答えるのが精一杯だった。 「じゃあな」  ハーシムはそう言うと、踵を返し、颯爽と去っていった。シャランと、綺麗な音が鳴る。   「あ~、怖かった~」  国事部の扉を閉めた佐知子は思わず胸を押さえてそう声をもらしてしまう。 「はは……ハーシムさんは一見、怖いからな」 「ヨウくんは平気なの?」 「まぁ……怖いのは一見だからな。もうなれた」  二人は、そんなことを話しながら歩き出す。 「さて……じゃあ、使用人小屋へ行くか」  廊下を歩き、食堂から人のいない炊事場らしき所を通って、炊事場の裏に出た。  そこにはたくさんの女性の使用人たちが、硬い砂の地面の上に一人用の小さな絨毯のような敷物を敷き飲み物を飲んでいたり、少し大きめの絨毯の上に複数人で座りながらお茶を飲み談笑して休憩していた。  そして、ヨウがそこに現れると、女性たちが一気に色めき、どよめいた。それだけで、ヨウの立場と人気度がわかった。 (やっぱり、ヨウくんはモテるんだなぁ……)  佐知子はそんなことを思いながら、ヨウの影になんとなく隠れる。 「……アイシャさん、知らないか?」  ヨウは辺りを見渡したが、探していた人物が見当たらなかったらしく、近くにいた女性に声をかけた。 「あ、えっと、あっちに、行きました!」  女性は頬を紅潮させながら指を差し答える。 「ありがとう……」  ヨウはそう答えると、歩き出す。二人が去った背後では、きゃー! と、女性たちが騒いでいた。 「おや? ヨウじゃないかい。こんなところにどうしたんだい?」  すると、曲がり角からふっくらとした中年の、褐色肌の女性が現れた。ゆるいウェーブのかかった黒髪をスカーフでまとめている。 「あ、アイシャさん……よかった」  ヨウは、ほっと安堵したようだった。 「こんな女だらけの使用人の休憩所にくるなんて! ついにあんたも嫁さん探しする気になったかい! ん?」  そう言いながら、アイシャと呼ばれる女性はふくよかな手でヨウの二の腕をバンバンと叩いている。 「い、いや、そうじゃなくて……新しい使用人で、ちょっと頼みたい人がいるんだ……」  ヨウはげんなりした表情をしながらも、背後にいた佐知子の背を軽く押し、サチコ……と言いながら、前へと促す。 「この人……なんだけど……ちょっと……いろいろあって、何も持ってなくて、使用人で雇うことにはなったんだけど、その……身の回りのものとか何もないから、これで用意してくれないか」  そう言うと、ヨウは腰に巻いた黒い布の間から革袋を取り出した。 「まぁー! こんなにたくさん! なんだいなんだい? ヨウのこれかい?」  アイシャはそう言いながら小指を立てる。 「違うから……」  今日、何度目かのやりとりに、ヨウは重いため息をついた。 「とにかく……大事な人だから……頼む」  ヨウはうつむき加減に斜め下を向いてそう言った。 「…………」  そんな様子のヨウにアイシャはきょとんする。そしてやわらかくほほえんだ。 「なんだかよくわかんないけど、ヨウにそんなこといわせる人が現れるなんてねぇ! わかったよ! まかせな!」 「……ありがとう」  顔を上げると、ヨウは安堵して少しほほえんだ。 「あんた名前は?」  突然話しかけられ、佐知子はあわてる。 「あ、えっと、高橋佐知子です!」 「タカハシサチコ……随分長い名前だねぇ……」 「あ! 名前はサチコです!」 「サチコかい! よろしくね! あたしはアイシャ!」  アイシャは握手の手を差し出す。 「よ、よろしくおねがいします!」  佐知子はあわててその手に自分の手を重ねた。  アイシャの手は、労働者の手だった。水仕事をしているのかガサガサで、分厚くて……だが、とてもあたたかくてやわらかい……お母さんの手をしていた。 「……じゃあ……俺は……行くから……」  佐知子とアイシャが握手を終えると、あとは頼みます……と、ヨウはアイシャに言う。  そして佐知子を見た。 「…………」  佐知子もヨウを見つめる。  十年後のこの世界に飛ばされて、最初に出会った人がヨウくんで、本当によかった……佐知子はそう思った。  十年前のこともあり、自分のことを知ってくれていて、好意的で、ここまで連れて来てくれて……仕事も住む場所も見つけてくれた。これはきっと、とても幸運なことなのだろう……十年前のことを思い出してそう思った。  何だか離れるのが少し不安な気持ちもあるが、いつまでも一緒にはいられない……頼ってはいられない……いけない気がする……佐知子はぎゅっと口を引き結び、すっと息を吸い込んだ。 「ここまでありがとう! ヨウくん! またね!」  そう言うと、佐知子は、にっこりとほほえんだ。そのほほえみにヨウは少し瞳を見開く。そして、ほんの少し瞳を細めるとほほえみ。手を上げ、また……と言い、その場を去った。 「……で~? あんた、ヨウとはどんな関係なんだい? 大事な人とかいってたけど~? こーんな大金、持たせてくれるなんて」  アイシャはそう言うと、先ほどヨウが腰から取り出した革袋をジャラジャラと鳴らす。 「え?」 「こりゃ、十ディナ……ひょっとしたら二十ディナはあるかもねぇ……」 「え……えっ! あ! もしかしてお金ですか!」 「当たり前だろう」  アイシャの言葉に佐知子はしまったと、呆然とする。 「金がなくてどうやって、身の回りのものそろえるんだい。あんたお金持ってないんだろ?」 「……はい」  うなだれながら答える佐知子。  うっかりしていた。お金を借りてしまうなんて……しかし、今、自分はこの世界のお金を持っていない……これはしかたのないことなのかもしれない……。 (働いて稼いだら返そう……)  佐知子はそう思う。 「で、あんた何がないんだい?」 「え、えっと……何も……もってなくて……」  アイシャに問われ、しどろもどろにそう答える。 「……まぁ、この村はわけありのやつらが集まるところだから深くは聞かないけど……よくそんなんでここまでこれたねぇ。それになんでそんな布まとってるんだい?」 「え、あ! あの!」  アイシャは佐知子の布の裾をつかみ、めくる。 「まぁ~……あんたどこからきたんだい……めずらしい服だねぇ、体でも売ってたのかい?」 「売ってません!」  今日、何度目かの質問に佐知子はいささかうんざりしながら即座に否定した。 「まずはその服をなんとかしないとだね。よし、スークに行くかね。あたしも仕事、昼番で終わりだし。タイミングがよかったよ」  そういうとアイシャは、ほれ、行くよ! と、歩き出した。

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