書庫 一話

 雨宮青年が叔父からの手紙を受け取ったのは二日前のことだった。  知人からの時候の挨拶ならばまだ良かったが、生憎と、届いた封筒は厚さ数センチにわたるもので、彼の淡い期待は形づく前から儚くも消え去ってしまった。この電子電波の飛び交う現代に長々と文を書するなぞという古風な方便を好む者は、青年の周囲にはただ一人、彼の叔父しかいない。しかし、その叔父と言うのが、また厄介と評すべきか、言ってしまえば『人泣かせ』な男で。親族にも関わらず久しぶりに連絡があるかと思えば珍妙な頼み事をし、頼む様を見れば、なるほど簡単なものと請け負ってしまう。が、実際に行動してみると、あれよあれよと潜在的な問題点が顕れてきていつの間にやら面倒ごとでがんじがらめになってしまうような。青年の見通しの甘さばかりを責めるは酷と言うべきの、当人が知ってか知らずか、不可思議な用件を頼む人であった。  初めては青年が幼少の時分に、やあ博君ちょっと頼まれごとをしてくれないか、何簡単だちょっと店まで行ってこれこれを買ってきてくれるがいい。もし買ってきてくれればお礼に欲しいものを買って上げようと言うから、まだあどけない顔の少年雨宮君が甘言に釣られウキウキと最寄りの店に行けば、店員にその品物は取り扱っておりませんと断られ、別の店へ向かえば、只今売り切れ中の札に迎えられ、悔しがって日が暮れるのも構わず遠くへと足を伸ばせば、なんてことはない、本日臨時休業の張り紙が。しょげかえって宅へ戻った雨宮少年を待っていたのは、叔父からの、「目当ての物は通販で注文済みだったから買えなくって却って結構だった」という余計にも程がある労いと、母からの帰宅時間に対する叱責であったという。  と、これは典型的一件であり、まだまだ書くに憚られるような、読めば何人も涙を流さずにはいられない数々の面倒ごとを押し付けれたのであった。  故に青年は叔父に対してあまり良い印象を抱いていなかった。 ――少なくとも彼の意識はそう認識していたのである。    叔父からの手紙。きっとまた頼み事であろう。開ければ読まない訳にはいかず、読めば受けない訳にはいかず、受ければ難儀せぬ訳にはいかず。しかし開けぬ訳にもいかず。と、青年もはや被害妄想に片足を突っ込んだような連想をしつつ、二日が経過しても尚、手紙を放置したままであった。  そんなある日、正午も近くなった時間に、彼が居間にて無聊を慰めるための読書を行っていると外から客の来る音がするのに気付いた。 「博さん、生きてますか?」 「はいはい。生きてますよ」  縁側からひょいと顔を見せたのは穂積文子であった。そのあどけない笑顔と親しみある声に青年はしばらくの休憩を決めた。書を傍に閉じ、体を少女へと向けたその仕草が、いかにも生真面目な青年らしく。 「おじいさんの具合はどうだい?」 「まだ大事をとって入院してますけど、本人はもう元気そうです。はやくお酒が飲みたい、なんてこぼしてますよ。楽しみがないんですって。そう言う割には、病院の同年代の方々と楽しそうにおしゃべりしてるんですけどね」  うふふと笑った少女の表情から、もう心配は無用であることがわかった。  彼女の祖父は、先日野犬に襲われるという不幸に遭った。青年も面識がある男であり、負傷の際には現場に出くわしていた。出血も相当量に達しており、彼の視点からも命危うしと案ぜられたが、文子の様子を見るに回復しているようだった。青年も、隣人の無事を真に喜んだ。 「お勉強ですか?」と、文子が顔を寄せ視線を青年の傍に移した。そこには、小説や評論、いくつかの人文図書が無造作に積まれていた。 「いや、ただの暇つぶしさ。君はどんな本を読むんだい?」 「本ですか? うーん、ちょっと古めの名作でしょうか? あ、小説ですよ」 「おや、真面目だね、若いのに」  言った青年の老人めいた言葉には少女も噴き出しそうになった。無論、彼は少女とそれほど歳が離れている訳ではない。青年はそれに気づかず、面白がる文子を不思議そうな顔で見つめた。この時は無自覚であったが、彼は日頃から、自己の年寄りめいた意識を自認しており、故に、自らを二十代半ばの年齢以上に歳をとった人間であると考えていた。それは一種の精神的停滞でもあって、彼の物静かな、悪し様に言えば陰鬱な性格に、影響を与え、また与えられていた。 「真面目というか、近くの本屋さんであんまり新刊扱ってませんし。好きなのはあれですね。恋愛小説の、えーと、偏見と……」 「『自負と偏見』、あるいは『プライドと偏見』かな? 確かに今の少女漫画でもありそうな話だね」 「あーそれですそれ! 憧れちゃいますねぇ」  少女が挙げた小説は、主人公である田舎娘が都会からやってきた貴族と出会い、最初は悪印象の険悪であるが、事件を経て誤解が解けるにつれ互いに惹かれ、娘は貴族に見初められるという話であった。この田舎にやってきた雨宮青年に文子がいやに好意的だったのは、まさか青年をその貴族に重ねていた訳ではなかろうが、多少はその影響もあったかも知れぬと思うと少し微笑ましく、また他人の『熱病』を見てしまったようでやや気恥ずかしく。そもそも彼は資産家でも、ましてや貴族でもないただの学生崩れの無職であり、作中に登場する貴族のような美男子――造形という点ではまずまずであったが、彼の放つ暗い雰囲気がそれを覆い隠していた――でもなかった。 「ん? どうかしましたか?」  と、少女が距離を詰め、顔を近くした。ふっと、甘い香りが青年の鼻腔をくすぐり。 「いや。なんでもない……」  少し顔を紅くして、ぶっきらぼうに言う。少女の方は、そんな青年の年甲斐のない初心には気付かず、今度は別の何かに気を引きつけられていたところだった。 「あれ? 郵便、届いたんですか」  床の間に手を伸ばした彼女が持ったのは、件の手紙で。無理もない、宛名には大きく、ここにやって来たばかりの青年の名が書かれているのである。 「ああ、それは……」  青年のげんなりとした声。避けて来たが、ついにこの手紙を開封する時が来たか、その様な心境を見事に表現したような声色に、事情を知らぬ少女は怪訝な顔をした。それに答えるように、青年は事の次第を説明する破目になったのだった。

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