聖域の迷宮

 俗に『鉄草』とも呼ばれるオニクイカズラの固い蔓は、右脚をきつく締め付けていたが、ズマの怪力はそれを難なくほどいて外した。内出血はしばらく跡に残るだろう。でも千切れるよりはマシなはずだ。ベージュ色の袖の長いワンピースを着た黒髪の少女は、気を失っている。あちこち傷だらけで血も流れているが、致命傷はないようだ。  見る限り、普通の人間だ。サイボーグにも思えない。ズマは首を傾げた。聖域ならともかく、どうやってこの森までやって来たんだろう。まあこの頭で考えても無駄だけどな。幸い、そう思えるだけの利口さは持ち合わせている。  とにかく気を失ったままでは話にならない。目を覚まさせないと。こういう場合どうすりゃいいんだ。ほっぺたを叩くのかな。でもおいらの力で叩いたら、口の中が血だらけになるぞ。などとズマが思っていると。 「……ん」  どうやら勝手に起きたらしい。  少女の目は開かれ、しばらく中空をさまよった後、ズマを見た。その顔に浮かぶ恐怖。だが体にまだ力が入らないのか、逃げることも出来ず、ただ懇願するように首を振る。 「助けられといて怖がるんじゃねえよ。別におまえなんか食わないし」  気分を害されたズマはふて腐れたが、それを見て安心したのだろうか、少女は再び横たわり、顔からは恐怖が消えた。 「助けてくれたの?」 「何だよ。助けない方が良かったか」 「ううん……ありがとう」  こう素直に感謝されると、ズマとて悪い気はしない。口調も多少は優しくなる。 「おまえ、外の人間だよな。どうやってここまで入って来たんだ」  少女は体を起こした。だがうつむいて黙り込んでいる。 「ま、言えねえんなら、いいけどさ」  ズマは一つ溜息をついた。しばしの沈黙。しかし、それに耐えきれなくなったのか、少女は泣くような声で口を開いた。 「……三人で来たの」 「三人?」 「私たち、三人で逃げてきたの。なのに途中ではぐれちゃって。二人を見なかった?」 「いや、見てねえな」  この森の中にいて、ズマが見ていないという事は、つまりそういう事だ。しかしそれを少女の前で口にはしなかった。少女は両手で顔を覆って泣き始めた。 「せっかく、せっかくあいつらから逃げ出せたのに」  その『あいつら』が気にならない訳でもなかったが、ズマには関係ない。面倒臭い事に関わり合いたくはないし、いまはとにかく森の管理人に会わなければならないのだ。それに管理人なら、この少女をどうすればいいか、知恵を持っているかも知れない。ズマは立ち上がった。 「こんなとこに居ても野垂れ死ぬだけだ。歩けるか」  少女は小さくうなずき、立とうとした。だが。 「痛っ」  右脚を押さえて倒れ込んでしまった。オニクイカズラに捕まったのである。骨が折れているかも知れない。 「しゃーねえ。連れて行ってやるよ」  ズマはまた少女を抱え上げた。たいした重さではないし、このまま森の奥まで行けばいい。そう思ったとき。  何かを感じた。何だろう、この感じは。あえて言うなら、『冷たさ』か。とにかく何かが森の中を近付いてくる。おいおい、勘弁しろよ。ズマは枝の上に飛び上がった。これ以上、面倒臭い事には構っていられない。 「急ぐぞ!」  枝から枝へ、ズマは跳んだ。跳び続けた。それは森の奥へと向かっているはずだった。  デルファイの中に、人間の姿は滅多に見られない。ここには神魔大戦のときに使われた生体兵器が戦後大量に投棄され、その何割か、もしくは遺伝的子孫がいまも生き残っているのだ。生身の人間など、ただの餌にしかならない。  ただし、聖域においては話が違う。デルファイ四魔人の各支配領域の中で面積的に最小の、割合的にデルファイの一割強の広さしかないこの地域には、人間の姿があった。もちろんデルファイに流れ込んでくるような人間である。強化人間かサイボーグなのが当たり前だし、善良であるはずもない。だが獣人や昆虫人に比べればまだ文化的・文明的な人々が、外のエリアとほとんど変わらない近代的な都市空間の中に生活していた。  その中央に鎮座まします巨大な黒い立方体。人々が迷宮と呼ぶその最深部に、魔人リキキマの姿があった。  頭には黒い大きなリボンを乗せ、黒いフリルのドレスを着た、淡いピンクの髪の少女。見た目は十二、三歳というところか。白いレースで包まれた豪華な天蓋付きのベッドに静かに横たわる。眠っているかのようにも見えるが、部屋のドアがノックされると、「お入りなさい」と返事をした。  するとドアが開き、白い口ひげをたたえた穏やかな顔の老執事が、銀色のトレイを手に入って来る。 「お嬢様、お手紙が届いております」 「どなたから?」  リキキマは目を明けず、横たわったままたずねた。執事は答えた。 「どうやら3J様からのようですが」  それを聞くとリキキマは目をカッと開き、ガバリと上半身を起こした。 「あんのクソガキ、また手紙なんぞよこしやがったか!」 「お嬢様、お言葉が乱れておいでです」  執事の注意もリキキマの耳には入らない。 「おいハイム、いま3Jはどこに居る」  するとハイムと呼ばれた老執事は、耳に手を当て、何かを聞いた。そして一つうなずく。 「どうやらガルアム様の元にいらっしゃる模様です」 「ムキーッ! ガルアムなんぞの所には直接出向くくせに、このリキキマ様には手紙だと? 手紙だけだと? ふざけんなーっ!」  リキキマは枕を壁に投げつけた。 「そうはおっしゃいますが」ハイムはコホン、と小さな咳をした。「もし3J様がこの迷宮にお越しになった場合、お嬢様はどうされるおつもりですか」 「もちろん迷わせて飢え死にさせてミイラにしてやるさ」  その満面に浮かぶ悪魔的微笑み。 「だからお越しにならないのだと思いますが」 「それはそれ、これはこれだ」  リキキマはベッドから飛び降りると、ノシノシとドアに向かう。 「お嬢様、どちらへ」 「街を見回ってくる。パトロールだパトロール」 「3J様へのお返事はいかがいたします」 「どうせイ=ルグ=ルの件で協力しろとかそういうんだろ。お断りだ! て返しとけ」  そう言い残し、リキキマは振り返りもせず部屋を出て行った。  風が吹いた。イノシシ顔の獣人の剣は折り砕かれ、鎧は破片となって散らばった。 「ひ、ひぃっ」  イノシシ顔が、そしてブルドッグ顔もシカ顔も、鬼気迫る四本の超振動カッターの前に、ただ後ずさる。獣王ガルアムの屋敷にはひしめくほどの数の獣人が揃いながら、乗り込んで来たジンライを止められる者は誰一人として居なかった。そこに。 「これは何事だ!」  奥の階段の上から響く声。そこに立つのは、他の獣人たちより頭一つ二つ大きな、四人の影。その足下にウマ顔の獣人が駆けつける。 「た、大変です、殴り込みです、3Jが!」 「3Jだと?」  バイソン顔が角を振りながらウマ顔を押しのけ、前に出る。 「疾風のジンライか。どういうつもりだ。返答次第では、タダでは済まさんぞ」 「部下のしつけが出来ておらぬな。拙者はこう申したのだ。『戦争を始める』と」 「何」  バイソンが頭を低くして突進の姿勢に入った。だが。 「待て」  その声に、バイソンが振り返る。階段の上から、ひときわ大きな体格の、オオカミ顔の獣人が下りてきた。ライオン顔とクマ顔の獣人を引き連れて。オオカミ顔は言った。 「3Jは来ているのか。話させろ」 「ですが、ギアン様」  バイソンは不満顔だが、ギアンと呼ばれたオオカミは手でそれを制した。ジンライは静かに後ろを振り返る。薄汚れたターバンとマント、そして一本足の3Jが立っていた。 「久しいな、3J」ギアンの声には落ち着きがある。「何故こんな騒ぎを起こした。用件くらいなら聞いてやるぞ」  しかし3Jは感情のこもらぬ声で、こう答えた。 「俺はガルアムに用がある。おまえでは意味がない」  ギアンの眉間に苛立ちが走った。 「父上がお休みの間は、私が全権を任されている。貴様が来た理由を言え」 「聞いても、おまえには何も出来ない」  ギアンは目が血走り、口の端が震えたが、ぐっと堪えた。そして不意に話題を変えた。 「そう言えば、ズマはどうした」  3Jは答えない。ギアンは歯を見せた。 「そうだよ、ズマだ。あの能なしの役立たず、まだ飼ってるんだろう? どうした。連れて来なかったのか。せっかくウルフェンに来たのに、可哀想だろ。どうして連れて来なかったんだ。可愛がってやったのに」  辺りに漂う不穏な空気。獣人立ちは顔を見合わせている。  そのとき聞こえた笑い声。隠そうともしないそれは、ジンライから漏れていた。 「確かにアレは能なしの役立たず。いやいや、まったくもってその通り」  そしてカラカラと高笑いをした後、こう付け加えた。 「兄弟というのは似るものだな」  何かが弾けたような気配がした。獣人たちに戦慄が走る。地の底から湧き出るような咆吼。ギアンが前屈みになり、四足歩行形態へと姿を変えようとしている。それは殺戮の宣言。事態はもはや取り返しの付かない状況に陥ったかに思えた。だが。  ギアンよ  屋敷の奥から伝わる、強大なプレッシャー。物理的な衝撃を伴うかの如き思念波に、ギアンの変形は止まり、その場に居た大半の獣人たちは腰を抜かした。  3Jを連れて参れ 「ですが、ですが父上」  しかしギアンの抗弁など、最初から通る訳もない。  二度は言わぬ  ギアンは悔しげに歯を食いしばり、再び獣人の姿へと戻った。3Jは一歩前に出た。

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