花やぐ愛は大正ロマン! | 二章 手と手を取り合って
名月明

9 デイジー先生

 ここで、メイデン友愛女学校の授業風景をちょっとのぞいてみよう。  ピカピカの一年生である桜子たちが、最初に受けた女学校の授業は英語だった。 「Hello, Everyone! みなさん、こんにちは! 今日からみなさんの英語の授業を担当するデイジー・スプリングフィールドです! よろしくネ! このクラスの担任でもあるから、一年間仲良くやっていきましょー!」  サマセット学校長と同じカナダ出身で、二十代前半のデイジー先生はビックリするぐらい流暢《りゅうちょう》な日本語であいさつをして、桜子たちをおどろかせた。 「先生は、どうしてそんなにも日本語が上手なのですか?」 「That‘s a good question! いい質問ですネ、桜子! わたしにはたくさんの日本人のお友達がいます! 彼らと仲良くしている間に、自然と日本語がペラペラになったのです! あと、初めてキスした男性も日本人でした!」 「え⁉ き、き、接吻《キス》……⁉」  デイジー先生の爆弾《ばくだん》発言に、桜子だけでなく、教室の全生徒が顔を赤らめた。  この時代、「男女七歳にして席を同じゅうせず」という習わしがあって、あるていど大きくなったら、男の子は男同士、女の子は女同士で遊んだ。男の子は男らしく、女の子は女らしく……と、男女のけじめをつけなければいけないと考えられていたからである。  だから、この時代の女の子は(男の子もだが)異性への免疫《めんえき》が全くない。「男の人とキスした」と言われただけで、恥ずかしくて心臓が破裂《はれつ》するほどドキドキしてしまうのだ。 「外国の言葉をペラペラお話できるようになる一番グッドな方法は、その国の人とお友達になることですネ。最初は言葉が通じなくても、外国の友達と楽しく遊んでいたら、知らない内に言葉を覚えていますヨ♪」  デイジー先生は、可愛くウィンクしながらそう言った。  デイジー先生は外国人のわりには背が低くて、日本の少女たちとそんなに変わらない身長のため、子供っぽい仕草をすると、女学生たちと同年代の女の子に見えてしまう。 (親しみやすい先生やなぁ~)  外国人の先生なんて言葉が通じないうえに背が高くて恐いかも……と思っていた桜子は、ちょっと安心した。 「さてさて、早速、英語の授業を始めましょう。……と、思っていたのですが」  教壇《きょうだん》に立つデイジー先生はそう言うと教室を見回し、眉《まゆ》をしかめてフームとうなった。 「前々から思っていたのですが、あなたたち日本人の女の子は姿勢《しせい》が悪いですネ! みなさん、猫を背負ってますヨ! 猫背はダメです! 健康に悪い姿勢で勉強するのはダメ、ダメ! 英語の勉強を始める前に、猫背を直しましょう!」  そう言うやいなや、デイジー先生は教壇を下り、生徒たち一人ひとりの肩をぐいーっとうしろへ引っぱって、曲がった背中を矯正《きょうせい》し始めたのである。 「ふにゃーーーっ⁉」  真っ先にやられた菜々子は猫みたいな悲鳴を上げた。菜々子の背骨がボキボキッと鳴り、周囲の生徒たちが「ひ、ひぃぃぃ‼」とおびえる。  昔の日本人は、かなり姿勢が悪かったらしい。  特に女性たちは多くが猫背だった。和服を着て歩く時は、前かがみの内またで歩いたら見栄えがいいと思われていたからである。  でも、日本が近代化していくにつれて、「猫背は洋服を着た時にかっこ悪いし、健康によくない」と言われ始めていた。桜子たちの時代は、ちょうどそんな時期だった。  そして、桔梗と蓮華も猫背をベキボキと矯正され、 「うにゃにゃーーー⁉」 「にゃおーーーん⁉」  と、隣の教室まで聞こえるような大声を出した。  デイジー先生は、生徒たちの猫背を次々と強引に矯正していく。そのたびに、教室に悲鳴が上がった。阿鼻叫喚《あびきょうかん》とはまさにこのことである。 「さあ、次はあなたの番ですヨ、桜子! …………おや? おやや⁉ 桜子、あなたはとっても姿勢がキレイですネ! Your posture is very beautiful! 素晴らしい!」  背筋をピンとさせて座っている桜子を見て、デイジー先生は手をパチパチとたたきながらほめたたえた。  桜子の姿勢がいいのは、朧月夜《おぼろづくよ》家の両親に連れられて鑑賞《かんしょう》した宝塚《たからづか》歌劇の影響だった。  宝塚の女優たちは、華々しい衣装を着て、背筋をシャンとさせて舞台上に立ち、堂々たる凛々《りり》しさで演技をしていた。  彼女たちの立ち居ふるまいを見て感動した桜子は、宝塚の女優たちの凛とした美しさの秘密は姿勢のよさにあるのかも知れないと考え、自分も背筋をピンとさせて生活するように心がけていたのである。 「これだけ美しい姿勢なら、洋服を着ても、No problem! ぜんぜん問題ありません! 素敵なレディになれますヨ!」 「あ、ありがとうございます。えへへ……」  みんなの前であまりにもおおげさにほめられ、桜子はちょっと恥ずかしかったけれど、素敵なレディになれると言われたのはすごくうれしかった。もしかしたら、柳一に「君は素敵な女性だよ」と言ってもらえるような大人の女になれるかも、と思ったのだ。  実際には、ひねくれた柳一がそんなことを言う可能性は限りなく少ないが……。 「みなさんも、桜子を見習いましょうネ!」  デイジー先生が桜子の肩に手を置きながらそう言うと、桔梗や蓮華、その他の生徒たちも「すごーい! さすがは飛び級生~!」と口々にワイワイ言いながら感心した。 (飛び級と猫背、ぜんぜん関係ないじゃん!)  一人だけ、菜々子はそう思いながら、いつものようにほっぺたをふくらませていた。桜子がみんなに注目されて、面白くないのだ。  こうして、初めての英語の授業は生徒たちの猫背矯正だけで終わってしまった。  自由|奔放《ほんぽう》すぎるデイジー先生の授業が特別だっただけで、他の授業はもちろんちゃんと行われた。  女学校には、「修身《しゅうしん》」(道徳の授業)、「国語」、「英語」、「地理」、「歴史」、「数学」、「理科」、「図画」(美術)など、現代と同じような授業がちゃんとあった。「体操」(体育)や「音楽」の授業も、もちろんある。  たくさんの教科の中でもメイデン友愛女学校が力を入れていて、他の教科より授業数が多かったのは英語と国語だった。  英語は外国の人々と交流ができる国際的な日本人になるため、国語は日本人として正しい日本語を覚えるために重視されたのである。  国語の授業は教科書でいろんな小説を読むことができ、女学生たちには人気があった。文学少女が多かった女学生たちは、同年代の男子たちよりもたくさん本を読んでいたのである。  そして、「家事」や「裁縫《さいほう》」という授業もあった。家事の授業では料理の実習などが行なわれて、西洋の料理やお菓子の作りかたも教わった。  裁縫の授業も、「結婚して夫を支え、子供を育てる」良妻賢母《りょうさいけんぼ》が理想の女性だとされていた大正時代の女の子たちにとって、とても大切な授業だった。  この時代の服屋には、買ってすぐに着られる完成品の服が売っていなくて、服の材料となる布などを買って自分でお裁縫し、着物にするのだ。  だから、お裁縫ができなかったら、新しい服を着ることができないという困ったことになるのである。お裁縫は、日常生活に欠かせない必要スキルだった。  桜子は、そんな裁縫の授業でも、みんなの注目をおおいに集めた。 「さ、桜子さん! もう縫い終わったのですか⁉」 「ほへぇ~。速いねぇ~。不器用なあたしにはマネできないよぉ」  桜子といっしょに縫い物をしていた桔梗と蓮華が、感嘆《かんたん》の声を上げた。  桜子は、あっと言う間に「ハンケチにバラの花を刺繍《ししゅう》する」という今日の課題を終わらせてしまったのだ。しかも、本物のバラのように赤く美しくて、みごとな刺繍だった。 「そんなことないよ、蓮華さん。わたしは小さいころからよく縫い物をしとったから慣れとるだけやで、みんなも練習したらこれぐらいは簡単やに」 「そっかぁ~。だったら、あたしもがんばろうっと。桜子ちゃん、ここはどうしたらいいのか教えてくれる?」 「ええよ! ここはな……」  人懐っこくて愛嬌《あいきょう》があり、みんなより小さいのにがんばり屋な桜子は、クラスメイトたちから休み時間には可愛がられ、授業では頼られる人気者になっていた。  桔梗や蓮華とは、おたがいに名前で呼び合うぐらい親しくなっており、桜子は桔梗と蓮華には方言で話した。  ――親しくなったお友達になら、本当の桜子お嬢様を見せても受け入れてくれると思いますよ? 桜子お嬢様の方言はとても可愛いですし、きっと人気者になれますよ。  スミレのアドバイスにしたがい、思い切って二人に三重県の方言で話しかけてみたのだ。  すると、スミレが言っていた通り、桔梗と蓮華は「桜子さんの故郷の方言、可愛い!」と言ってくれたのである。それから、二人とはますます仲良くなった。 (スミレさんのおかげや。ありがとうな、スミレさん。最初は、一人だけ年下やで、「小学生がなんで女学校にいるのよ!」みたいなことを言われて仲間外れにされたらどうしようって不安やったけれど……。みんな、優しいクラスメイトばかりでよかった!)  しかし、気がかりなこともある。いつも教室で一人ぼっちの菜々子のことだ。  菜々子は、もともと人見知りが激しい性格だったうえに、桜子に変な対抗意識を持っているせいで友達が今のところ一人もできていない。 「桜子と仲良くする子なんかとは友達にならない!」  と、ずっと意地を張っているけれど、桜子はほとんどのクラスメイトと仲良しになっているため、菜々子はだれとも友達になれないのだ。完全に自分で自分の首をしめていた。 (このままやと、菜々子さんは教室で孤立してしまう。なんとかせんと、あかん。一人ぼっちが死ぬほどさびしいことは、わたしはよく知っとるもん)  でも、菜々子はなかなか桜子に心を開いてくれない。そもそも、菜々子に嫌われている理由もわからない。まずは、嫌われている理由をつきとめて、菜々子と仲良くならなければ。 (柳一さんは、菜々子さんのことを何か知っとるやろか。会話がなくて、あんまり仲のいい兄妹には見えやんけれど……)  桜子は、蓮華のお裁縫を手伝いながら、ぽつんと一人で縫い物をしている菜々子のさびしそうな横顔をチラリと見て、そう考えるのであった。

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