出会い

「な、なんということを...。なんと、いうことを...。アパッチメント...。」 「ふぁっ??、ちょっ、ちょいまぁてぇよぉ、最後のアパッチメントってなんだよ...。」  そう、これが、西方氏が、彼を初めて認識した瞬間だった。   遡ること3時間、ワンダーランド時間では朝6時。西方氏は突然目覚めた。そう、自室のベッドの上で。彼はいつもの朝とは何かが違うと、ちょっとした違和感を感じながらも、自室がある二階から階下へ降りていった。いつも降りている階段である。彼は朝が滅法弱いとはいえ、階段を不注意で踏み外した事は一度もなかった。いや、一度は有ったかも知れないが、記憶にはないのだから、無いと言っても良かろう。その彼が今日、階段を一段踏み外した。一瞬の出来事であった。 「いってぇー、なんじゃこりゃぁ。」  彼は臀部を強打した。なんじゃこりゃぁとは言っているが、これは、彼の口癖で、血は出ていない模様である。勿論、この台詞を言った時には、出血を伴う怪我をしている時もある。彼は、痛さの中にも、冷静さを忘れない、強い精神力の持ち主と言っておこう。ここで、《《なんじゃこりゃぁ。》》について、説明が必要な諸君が出てくると思われるのだが、そんな諸君は諸君の父や母に聞くのが賢明である。  人間の記憶という物は実に曖昧である。しかしながら、ふとした事がきっかけで、突然、記憶の水面|《みなも》に浮かび上がる。正に、それが、今であった。西方氏は思い出した。 「か、階段を踏み外したのは、今日が、今日が初めてじゃあねえ!あの時、そう、私が幼き時分、あの時もそうだ。あの時、何故か、バナナの皮が階段に落ちていたああああああああぁ」  彼は、階段を確認した。そこには、まだ、新鮮な黄色の、やや青みがかった甘酸っぱいであろう、バナナの皮が置かれてあった。 「あ、あの時もそうだ。バナナの皮で滑って、一段、踏み外したんだっけな。あと、あの甘い匂いだ、甘いお菓子のぉ、そう、アレの匂いと伴にだああああああぁ!」  西方氏の遠い記憶が、水面まで浮かび上がり、紐付けられたその時の感覚までもが、無数の泡となって、ぶくぶくと、その水面を揺らした。  西方氏は高校二年生の、そこら辺にいる、見かけは普通の青年である。髪は、ボサボサの長髪、黒髪。顎にたっぷりの髭を垂らし、肌は浅黒く、そのせいか、何故だかギラギラと輝く大きな黒い目玉が印象的だ。彼の通う学校の校則は、さほど厳しくも無く、この様な風貌の学生さんは珍しくは無い。所謂ワイルド系とでも言えよう。しかしながら、昨今の女性受けする風貌とは、あまりに掛け離れている所為か、興味を示して近づいて来る女性は殆ど無い。また、彼自身、女性に積極的に話し掛ける性分では無い。彼は、今朝の出来事を気には留めながらも、遅刻せぬよう、足早に学校へ向かった。  彼の通う学校は、小走りで家から5分程度のところにある。息を切らし、教室に着くなり、彼に近づいて来る一人の女学生がいた。 「おはよう、西方君。」 「え〜っと、どちら様でしたっけ?えへ。ぜーぜー」 「あら、嫌だ。ご冗談はよしこさん。」 「あっ、よしこさんでしたっけ?ぜーぜー」 「違いますわ。あたしの名前は八幡平雪乃。以後お見知り置きを。」  八幡平雪乃。西方氏と同じクラスの女学生である。背は小柄で髪はやや茶色がかった黒髪。肌は、辺りの景色に溶け込んでしまう、暗いというか、薄いというか、眩しく無い色白。濃い、茶色のフレームの眼鏡を掛け、落ち着いた知的さを感じさせる。西方氏は同じクラスの彼女を知っていたようで知らない感覚に違和感を感じながらも、自分に話し掛けてくれる稀有な存在に、すぐに心惹かれた。 「貴方、その、中途半端な日焼け、わざとでしょ。分かるの、あたしには。そのボサボサの長髪、ちょっと後ろでまとめてみてくれるかしら。」  西方氏は、彼女が何を言わんとしているのか察しながらも、言われるがままに、両手で髪を、後ろにまとめてみせた。そこには、首筋から耳元にかけて雪の様な白い肌が広がっていた。 「やっぱりそうだわ。貴方、めっちゃ色白男子ね。同じ色白同士、直ぐに分かったわ…それに…」 「じ、実は自分、雪乃さんの肌が、自分と似てて、だから、その〜、アワワワワ」  西方氏は気持ちが舞い上がり、彼女の話しを遮ってしまった。彼は、この時すでに、彼女を恋愛対象として意識し始めていたのだ。出会って数分の出来事である。しかしながら、彼は直ぐに平静を取り戻した。彼は冷静な人物である。瞬時に状況を客観視し、己の理性でもって、熱い、内なる魂の鼓動を押さえ込んだのである。 「あーた、あなたね、話を遮らないでくださる!あたし、少しカチンときたわよ!!それに、何なの、アワワワワって言ってから数秒の間に何があったの?さっきと今ではまるで別人だわ。」 「あ、あ、お気づきになられました?まあ、自分の特性みたいなもんっすよ。よかったら今度コーヒーでも飲みに行きましょうかハハハ」 「あらやだ、あたしをお誘いになっているの?まあ、考えておいてもよろしくってよ。」 「ま、まじっすか??正直、自分うれしいっす!」 「あ、そうそう。あたしが言おうとしてたこと思い出したわ。あーた、あなたね今日、間も無く、彼と再会するわよ。忠告したからね。だから、だから、現実的では無い出来事が、あーたの周りで発生してもびっくりなさらないでくださいね。後生ですから。」 「あ、そうですか。しかしですね、君って話し方が昔風でございますね。自分、昔風な女性に弱いんすよ。あ、いや、口説いてるわけじゃあ無いですよ。アワワワワ」 「そこかーい。大事なのはそこじゃございませんのよ。彼って誰?ってお気になさらないの?あーた、あなたね、一体全体どういう思考回路を持ち合わせてるの?面白いわね。あたし、久方ぶりに興味深い人物にお会いできたようだわ。」 「あ、そうですか。光栄です。」 「あら、急に普通のお返事だわ。もっと何か面白い事を話して下さると期待してたのに。でもいいわ。あたし色んな人を何万年も…アッ、何でも無い…、見てきてるから分かるわよ。貴方みたいなタイプの人間は自分に興味を持たれると、急に身構えてしまうのよね。分かるの。うん。だから焦らなくてもよろしくってよ。貴方は爽やかな風のような存在だわ。自由になさって。あたし別にあーたにお熱を上げてるわけじゃないからねッ」 「はい。分かりました。」  西方氏は、やけに、素っ気無い返答を八幡平雪乃にしてしまったことに、多少の後悔の念を抱きつつも、「私の恋は何時もこうだ、すんなりと行くはずなぞは無いのだ!」と自分に言い聞かし、席に着いた。そして、最も疑問に思っていた事を思い出し、「そういやあ、八幡平雪乃さんって、ウチのクラスか?席はどこだっけ?」と辺りに視線を巡らせた。彼女は丁度、自分の席に辿り着き、椅子に、か細く白い美しい手を伸ばしていた。彼女の席は後ろから見て、最前列の右端であることが判明した。補足するならば、入り口付近、廊下側である。  男女の出逢いというものは、何か、特別の、得体の知れない引っかかりが、心に生ずる。出会って直ちにお互いの魂が惹かれあい、直ぐに相手と打ち解けてしまう、あの何とも言えない感覚。遠い昔からお互いを知っているかのような感覚。西方氏は彼女との出逢いに幸福を感じ取っていた。

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