麗しき迷宮~お嬢さまと銀の密偵~ | 第六章 魔女になった、あの日
鷹守イサヤ

第六章 魔女になった、あの日(2)

 ユーグは噴き出しそうになるのを懸命にこらえ、しかつめらしく頷いた。 「クロエが代わりにやってくれれば、何事もうまく行くんです。こんな頼りない兄を大事にしてくれる妹に、これ以上の迷惑をかけたくなくて、つい任せきりにしてしまって……。しかし今回ばかりは自分でやるべきでした」  いや、もっと面倒なことになっていたかもしれないから。──とは、あんまり気の毒なので言わないでおく。ユーグはこほんと咳払いをした。 「ともかく妹さんはご無事ですのでご安心を。ただ、しばらくは身を隠しておいたほうがいいと思います。奴らは凶悪な犯罪者ですからね」 「そうですね。しかし……、どうして私どもにこんなに親切にしてくださるんです? これまで挨拶くらいしかしたことがないのに」  もう伏せておく必要もなかろうと、ユーグは正直に〈すみれの王冠〉という宝石を探していることを告げた。オーレリアンは面食らって首を振った。 「聞いたことありませんね。大王陛下から下賜されたのならたいへん名誉なことです。自慢してもいいのに……。母は息子から見てもたいそう美しいひとでしたが、とても控えめで慎ましい女性だったんです。祖母は昔の自慢話ばかりですがね。まぁ、たいした自慢にもなりませんが。女官と言っても、その頃祖母はまだ侯爵夫人ではなかったし、大王陛下をお見かけすることさえ稀で、直接お言葉を賜ったことは一度もなかったと思いますね。──ああ、そうか。だから母は黙っていたのかもしれないな……」  想いをはせる風情の若き侯爵を見やり、慎重にユーグは尋ねた。 「母君の宝石で紫色のものはありますか」 「これひとつですね」  オーレリアンは隠しから取り出した指輪をユーグに示した。 「お恥ずかしいことですが、母の宝石で今でも手元に残っているのはこれくらいなんです。まぁ、いろいろと事情がありまして、母の生前からすでに家計が逼迫していたものですから、母は手持ちの宝石を真っ先に売ってしまったのです。ただ、これだけは絶対に手放さかった。亡くなるときに外してクロエに手渡したんです。最後に弱々しく微笑んでね」  オーレリアンは袖でそっと目許をぬぐい、照れくさそうに笑った。 「以来クロエはいつもこれを嵌めています。外して僕に預けるなんて、どれほど危険なのか自分でもきっとわかってたんだな……。それなのに僕はむざむざ妹を危険な目に──」 「ちょっとよろしいですか」  ユーグは指輪を手にとり、様々な角度から眺めた。 「……内側に何か文字が彫ってありますね」 「ああ、格言ですよ。母らしいと、妹といつも言ってたんです。──ムッシュウ・アスラン。お手数ですが、この指輪を妹に届けていただけませんか。やはりこれは妹が持っているべきだと思うんです」 「いいですとも。それから、僕のことはどうぞユーグとお呼びください」  にっこりと笑みを向けると、うちひしがれていたオーレリアンは一転して嬉しそうに顔を輝かせた。  そしてユーグはアドリエンヌの元にクロエを訪ねて指輪を渡し、同じ日の夕刻に手紙を携えてふたたびヴュイヤール家を訪れた。妹からの手紙をむさぼり読み、オーレリアンは嘆かわしげにかぶりを振った。 「走行中の馬車から飛び下りた、だって? まったくなんて無茶なことを!」 「無理やり呑まされてしたたかに酔っていたんですよ。判断力が落ちていたのでしょう」 「いや、妹なら素面《しらふ》でもやりかねない。まさか骨折などしていないだろうね?」 「軽い打ち身と二日酔いだけです。運がよかった」 「まったくだ。──ところでユーグ、あれから少し気になることがあったんだよ」  気兼ねなく話せるようになったのが嬉しくてたまらないようで、オーレリアンはいたずらを計画する少年のようにわくわくと声をひそめた。 「何です?」 「きみが去ってから祖母がおめかしして現れてね。もう帰ったと知ると、気の毒なほどがっかりなさっていた」  ユーグは苦笑した。 「それは大変失礼いたしました。また改めてご挨拶させていただきます」 「うん、まぁそれはいいんだけどさ。祖母もクロエの行方をたいそう気にしていたので、安心させようと思ってざっと経緯を話したんだ。そうしたら、〈すみれの王冠〉の話が出たとたんにさっと顔色を変えて。摂政公が探しておられると聞くと、真っ青になってひどく動揺しているんだ。問いただしたけれど、ろくすっぽ返事もせずに部屋にこもってしまわれて……。どう思う?」  ユーグは軽く眉を寄せた。 「そうですね……。少なくともあなたや妹君が知らない何かをご存じなのは確かでしょう。今から侯爵夫人にお目にかかれますか。ぜひお話を伺いたい」  聞いてみる、と頷き、オーレリアンはいそいそと部屋を出て行った。  調べれば調べるほど、〈すみれの王冠〉の存在については霞がかかってゆく。まるで曇った鏡に映るものに向かって手を伸ばしているような、そんなもどかしさだ。  宝石職人にも何人かあたってみたのだが、紫色のダイヤモンドなど聞いたこともないと言われるばかりだった。  これまで知られているダイヤモンドの色味としては、無色の他に黄色、茶、黒、青、ピンク、赤、緑がある。完全に無色透明なのは稀で、黄味が混じっているのが普通だそうだ。赤と緑のダイヤモンドは非常にめずらしく、あっても小粒のものに限られる。だが、紫色のものはこれまで一度も見つかっていない。  もし本当に紫ダイヤなら、珍品中の珍品と言える。一国の王が、王妃でも公式寵姫でもない一介の女官に、いくら秘かな想いを寄せていたとはいえ気前よく与えるとは考えにくい。  一方、サファイアであれば、紫はそう珍しくもない。サファイアはヴァリエーションが豊富で、青に黄色、緑、ピンクと、さまざまなものがある。このうち特に珍重されるのが真紅の石──別名ルビーだ。  しかし──。 (あのひとは、紫色のダイヤモンドだとはっきり断言したんだよな……)  思わせぶりな薄笑いを浮かべた摂政公の顔が浮かび、ユーグは思わず顔をしかめた。そこへ、オーレリアンが息を弾ませて戻ってきた。 「話したいことがあるそうだ。きみに部屋までお越し願いたいと言ってる」  ユーグは堂々巡りの思考を打ち切って立ち上がり、オーレリアンに従って居間を出た。  廊下に立ってふたりを見送っていたジゼルは、外から響いてくる車輪の音に気付いて窓に駆け寄った。玄関前で黒塗りの馬車が停まり、ちょうどブランディーヌが降りてくるところだった。急いで迎えに出ると、扉の前でブランディーヌは不安そうに背後を気にしていた。 「あの……、お客様がいらしているなら、わたし、帰ったほうが……」 「とんでもない。お顔も見せずに帰られては旦那様ががっかりなさいます。どうぞこちらでお待ちください」  ジゼルが促すと、ブランディーヌはホッとした様子で微笑んだ。後には当然のようにむっつり顔の侍女が無言で続き、ジゼルは小さく肩をすくめた。

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