第39話   亡き弟のパートナー

「何があったの」 葵が訊ねる。夏樹くんは起きてしまったようだ。座り心地の良さそうなソファに座らされて、きょとんとしている。さっきまでのスイートルームほどではなくても、ここも普通の客室に比べたら十分豪華だ。 「何がっていうか……」 “風見鶏”のことを何と説明したものだろう。ってゆーか、彼の言うことを鵜呑みにして良かったんだろうか、俺。“風見鶏”が俺を不利にさせなければならない理由は思いつかないが、さりとて優遇する理由だってないのだ。 だいたい、何に対する不利で、何に対する優遇なんだ。分からん。 と、今度は普通に設定してあるメール着信音が鳴った。シンプルに、鳩時計の音である。三回だけ鳴って切れるので、いつも「三時」だ。 『しばらくそこから動かないように。君たちがさっきまでいた部屋には、今頃悪いおじさんたちがいるはずだから』 “風見鶏”からのメールだった。俺はそれを芙蓉と葵に見せた。 「どういうこと?」 芙蓉の質問に、俺は首を振った。 「分からない。ただ、連絡があるまで俺たちはこの部屋から出ない方がいいと思う。この人が──」 俺は携帯の小さな画面を指で弾いた。 「こんな風に連絡をしてきたのは初めてだし、こんな指示を出してきたのも初めてだ。何か、よほどのことがあったんだと思う」 「その人はあなたにとって、どういう人なの?」 「うーん……」 俺は唸った。彼が俺にとってどういう人間なのかなんて、考えたこともない。 「敵ではない、と思う。それだけしか言えないけど……」 俺の自信のなさそうな声に、二人は黙り込んだ。 そりゃ、不安だよな。俺だって不安だよ。あんたを信用していいんだろうな、“風見鶏”。 沈黙を破るように、また平和な鳩の鳴き声がした。俺は慌てて着信メールを見る。 『ベッドの上にぬいぐるみを置いてある。夏樹くんにあげて。君たちにはトランプを用意してある。ババ抜きでもするといい』 そこまで読んで、俺は衝立の向こうのベッドをのぞいた。二つあるセミダブルベッドの片方に、くたっとした犬のぬいぐるみがあった。 取りに行ってみると、ぬいぐるみの傍に本当にトランプが置いてある。軽くはない息を吐くと、俺はその二つをもってリビングに戻った。 「はい、夏樹くん。わんちゃんだぞ。夏樹くんが大好きなんだって。かわいがってあげてくれるかな?」 子供の目線まで屈み、俺はぬいぐるみの耳をそっと手に触れさせた。夏樹はそのつぶらな瞳とふわふわした感触に目を輝かせたが、あ、というように彼の父親の方を見やる。芙蓉はあきらめたように微笑んだ。 「よかったわね、夏樹。おじさんにお礼を言いなさい」 夏樹は立ち上がり、俺にぺこりと頭を下げた。俺は褒めるようにその頭を撫で、ぬいぐるみを渡してやった。五十センチほどの白い犬は、五歳の夏樹にはまだまだ大きい。抱え込むようにしてソファに座りなおし、夏樹は犬の頭を撫でた。 「俺たちは、ババ抜きでもやる?」 芙蓉と葵にトランプを見せる。それから、メールの後半に書いてあったことを伝えた。 「時間を潰さないと。さっきまでいたあの部屋に、今、怖いおじさんたちがいるらしいから」 「……ババ抜きよりポーカーの方がいい」 やる気なさそうに葵が言う。そりゃそうだよな。こんな中途半端な状態でトランプ遊びなんかやる気になれるわけがない。 「ポーカーは夏樹くんの教育上良くないだろう。<七並べ>とか<はやぶさ>とか<ざぶとん>とかのほうが健全じゃないか?」 明るく言ってみたが、我ながらわざとらしい。 「無理して盛り上げてくれなくてもいいわ」 冷たく芙蓉が言う。守るようにぴたりと息子に寄り添い、その髪を撫でている。 「う……ごめん」 俺はうなだれ、ひとり掛けの椅子に座った。葵はドアの前に立ったままだ。 「この部屋を用意してくれた人に、もっと詳しいことは聞けないの?」 葵の問いに、俺は首を振った。 「こちらからは連絡出来ないんだ」 「どういうこと?」 今度は芙蓉が訊ねてくる。どう答えたらいいか俺は悩んだ。<ウォッチャー>ってどう説明すればいいんだろう。 「えっと、いつもあっちからメールが入るんだ。でも、そのアドレスにリメールしても届かない。一方通行なんだよ」 俺のPCからなら連絡を取る方法はあるけどさ。“風見鶏”はIPなんとかがどうとかって言ってたけど、PCオンチの俺にはもちろん何のことかわからない。 「一方通行って……」 案の定、葵は不審もあらわな様子だ。そりゃそうだろうなぁ。 でも。 「会ったこともない人だけど、これだけは言える。あの人は今まで、俺に対して何か害になるようなことはしたことがない」 そうだよ。謎の人だけど、それだけは確かだ。 「今回も、あのままあの部屋にいたら、きっと危なかったんだと思う」 「どう危なかったっていうのかしら?」 「分からない」 俺は芙蓉の目を真っ直ぐに見た。 「ただ、あの人は高山氏のことも、君たち双子のことも情報として知っていた。だから、今あの部屋にいるという<怖いおじさんたち>というのは、偽ヘカテがらみの人間なんじゃないかと俺は思っている」 「そう……」 芙蓉は夏樹の背中をそっと抱きしめた。それからまた俺の方を見、はっきりとした声で告げた。 「その人が、きっとあなたの弟さんのパートナーなんだわ」 「え?」 そう言ったまま、俺は固まった。そんなこと、考えたこともなかった。 “風見鶏”が弟の協力者? あまりにも意外なことを言われて、俺は瞬間呆けた。 「まさか。そんなはずないよ」 俺は言った。だが、芙蓉は首を振る。身体を夏樹の方に向けているため、こちらを肩越しに見返る形になる。そういうの、何て言ったっけ? 見返り美人。 あー、着物姿も似合うかもな、芙蓉。やっぱり女にしか見えないなー。そんなことを思いながらぼんやりそのきれいな顔を見ていると、彼は確かめるように訊ねてきた。 「でも、その人のお陰で今回は難を逃れられたわけでしょう?」 「まあ、そうだね。本当に珍しいんだよこんなこと。直接携帯にかけてくるなんてさ」 俺の感想を聞いて、葵が大きく溜息をついてみせた。 「だから、その人がずっとあなたを守ってくれてた人なんじゃないかって、俺も芙蓉も言いたいわけだよ」 へ? 俺は多分相当間抜けな顔をしているだろう。 「……今回はたまたまだと思うよ。実は、今日このホテルに着く前、君たちの居所を探して欲しいってあの人に頼んでたんだ。だからだよ」 そうだよ。“風見鶏”からのメールは気まぐれだし、俺の方から“風見鶏”に連絡を取ったのなんて、今日が初めてなんだから。 「そうかしら」 「そうかな」 語尾だけ違って二人がまたハモる。やっぱり双子、というべきなんだろうか。俺たち──俺と弟の場合は、言動が同調することは滅多になかったけれど。 「だって、珍しく電話してきたのは」 「危険がすぐそこに迫っていたからでしょう?」 立て続けに二人から言われて、俺は目を白黒させる。 「どうして危険が迫っているのが分かったか」 「間一髪でそこから逃れるように警告できたのか」 「それを考えてみると」 「あなたかあたしたちのどちらかを、見張っていたとしか考えられない」 「え、えっと……」 たじたじとする俺を、四つの瞳が瞬きもせず見つめてくる。くっ……、迫力負けしそうだ。 「あたしたちは、ここ数日あなたの身辺を見守っていたから分かるのよ」 「あなたは誰かにガードされている」 「本当にあたしたちの部屋に、今現在<怖いおじさん>たちがいるというのなら」 「それを察知して、慌ててあなたの携帯にかけてきたというのなら」 「弟さん亡き後、あなたを守ってくれていた人物は、きっとその人」 「そうとしか考えられない」 畳み込まれるように言われ、俺は絶句した。 「あなたも、そう思うでしょう?」 ユニゾンで問われ、俺は張子の虎のようにかくかく頷くしかなかった。 ……だけど、声ですら今日初めて聞いたくらいなのに、“風見鶏”が俺を守ってくれていたって? 弟の代わりに?

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