第29話   亡き弟と<彼女>の出会い

「あなたの心も省みずに、俺たちが酷いことをしてしまった免罪符にはならないけど……」 葵がまっすぐな目で俺を見て、言った。 「あの日俺たちが阻止したかった取り引き、あなたの弟さんの死にも関係あったかもしれないんだ」 関係……弟の死に? どういうことだ、と俺は呟いていた。警察の見解では、弟はヤクザの抗争がらみのとばっちりを受けたのではないかということになっている。犯人はまだ捕まっていない。 「その、取り引きというのは?」 訊ねる声が、震えそうだ。何か得体の知れない恐怖が、俺の背中をじわじわと侵蝕していく。 「多分、ドラッグ」 葵は答えた。 「どっかの荒れ果てた<地上の楽園>から流れてきたらしいんだよ。それと、武器」 「ドラッグ? 武器?」 どこの国の話だ。俺は呆然とした。ここ、日本だよな? 武器なんて水鉄砲だけにしてほしい。 それにドラッグって。近頃のバカな若い奴らが、違法滞在の外国人からそういうものを買ったりしてるってのは知ってるが、そんなものの取り引きを、こんな高級ホテルでやるもんなのか? 「麻薬と、武器。その二つの仲立ちをする、その報酬を得る、そういう取り引きがあの日行われるはずだったの」 芙蓉が後を引き取った。 「それを阻止したくて、死体発見騒ぎを起こし、このフロアに警察を呼び込もうと計画したのよ」 「そ、そんなことしなくても、警察に通報すれば良かったんじゃないのか?」 そうだよ、んなまだるっこしいことしなくても。 俺の問いに、芙蓉は首を振った。 「無理よ。握りつぶされるのがオチ。内通者がいるらしいの」 「内通者……? 警察の内部に?」 「ええ、そうよ」 犯罪者と通じている警察関係者がいるっていうのか? 「あなたの弟さんは、ドラッグの流れを追っていてこのことに気づいたらしいの。詳細を調べようとして内偵してたところを、誰かに……」 「……何で君たちはそこまで知ってるんだ?」 俺は喉がカラカラになるのを感じた。手足の先が冷たくなる。弟は、一体何に首を突っ込んでたんだ? 「最初はわからなかったよ」 葵が言う。 「俺たちが調べているものと、あなたの弟さんが追っていたものが同じだなんて、考えもしなかった。俺は会ったことないしね。でも芙蓉が気づいたんだ」 「彼……あなたの弟さんと初めて会ったのは、まだ十六の時。父に追い出され、夏子に拾われてすぐの頃だったかしら──」 夏樹が芙蓉の膝からするっと降りて、積み木の前に座った。木のブロックで何やら作りながら、ハンカチうさぎをまだ大切に持っているのが可愛い。芙蓉はそれをやさしい目で見ていた。 「夜、おつかいに出て店に帰る途中、酔っ払いに絡まれちゃって。女装してたからよけいよね」 今は美女なんだから、当時は美少女だっただろうと俺は思った。それで夜の盛り場を歩いたりしたら……そりゃあ危ないわな。 「あまりしつこかったし、あちこちベタベタ触ろうとしてきたから、投げ飛ばしちゃった。男に触られてもうれしくないし」 「……」 俺はなんとか頭の中の何かのラグを修正した。こう見えて……芙蓉は男だった。つい忘れそうになるが。う、うーむ、ややこしい。 「彼は女の子が絡まれてると思って、助けに来てくれたみたい。でもその前に当の<女の子>が大の男を投げ飛ばしたものだから、すごくびっくりしてたわ。失礼しちゃう」 「柔道、合気道、空手の段持ちだもんね、芙蓉。でも、誰でも驚くと思うよ、普通。絶対そうは見えないもの」 葵が苦笑する。俺も心の中で激しく頷いていた。 この目の前のたおやかな美女が、柔道、合気道、空手の段持ち、黒帯。……人は見かけによらない。いや、本当に。 「必要に迫られて習ったのよ。男はみんなオオカミってホントよ」 「でも、君もその<男>だよね?」 恐る恐る、訊ねてしまう。趣味で女装してるけど、性嗜好はノーマルでストレートでノンケ(?)って言ってたよな、確か。 「ええ、あたしは男よ。でも、誰彼かまわずオオカミになるわけじゃないわよ?」 嫣然と微笑み、芙蓉は自分の息子を見やる。 俺はぶるっと震えた。なんか、こいつ、怖い、かも……。 夏子さん、十六の頃の芙蓉ってどんなガキだったんですか? ──俺は顔も知らない、今は亡きひとに聞きたくなった。 「でもまあ、その時は危ないからって彼は店まで送ってくれたのよ。見るからにまだ子供だったから、年を聞かれたりしたけど、『家の手伝いをしてる。店主に会ってもらえれば分かる』って言い張ったしね」 彼、店に入って一分くらい固まってたわ、と芙蓉は思い出すように笑った。 「かなりびっくりしたみたい。それはそうでしょうね。女装バーだからほぼ全員が女の格好してるけど、どう見ても男にしか見えない人の方が多いし。一人だけならちょっとゴツい女だな、で済む人も、集まっちゃうとやっぱり違和感あるしね」 「……」 俺は想像してみようとした。が、無理だった。目の前の芙蓉みたいに完璧に女に見えるようなのか、テレビで見たゴツいオカマみたいのか、両極端なのしか浮かんでこない。 「太めの人はいいのよ、ふくよかな女性に見せられるから。筋肉質なマッチョ体型の人が一番嘆いてるわね、女装が似合わないって。首が太いのよ。あと、毛深い人ね。お手入れが大変」 太め、筋肉、マッチョ? 毛深い? お手入れ? 「人外魔境……?」 俺の呟きに、芙蓉は吹き出した。 「彼も同じこと言ったわ。やっぱり兄弟ねぇ!」 「俺もそう思ったけど……」 ぽつりと呟いた葵と目が合う。なんとなく笑い合った。力無い笑いの二重奏でよけいに力が抜ける。 「そう言わないで。あの店はみんなの安らぎなんだから」 「安らぎ……?」 「普段、常識の名の下に押し込めてる<本当の自分>を解放できる、唯一の場所なのよ。ふんわりしたスカートや、ふりふりフリルにレースのブラウス、花柄のワンピース。そういう綺麗なものを身に着けたいっていう男性も、この世の中にはいるの。でも、外でそんな格好で歩いたら変態扱いでしょ?」 「う、うーん」 俺は唸る。もし、近所のパン屋のオヤジみたいな中年太りの男が女装して街を歩いているのを見たら……まず俺は見ないふりをすると思う。でも中には、芙蓉の言うように罵ったりする奴だっているだろう。 「彼は、店内だけなら公序良俗を乱すわけではないからいいだろう、って言ってたわよ」 ちょっと額に汗かいてたけどね、と芙蓉は苦笑した。 「男もいろいろなのよ。特に性的にストレート、ノンケの男はこういう時、行く場所が無いの。ただ女の服を着たい。それだけなんだけど、独り暮らしならともかく、妻子がいたり実家住みだったりすると着られないでしょ? そういう人にとっては、抑圧された日常生活から開放されるオアシスなのよ」 サンクチュアリよ、と芙蓉は付け足した。 サンクチュアリ……まあ、いいけど。鳥や魚のサンクチュアリもあることだし、衣装倒錯者のそれがあったっていいだろう。誰に迷惑をかけるわけじゃなし。 ──うん。誰にでも、「居場所」ってものが必要だ。おれだって、会社をリストラされた時は、自分の居場所が分からなくなって辛かった。 「く、クラブ活動みたいなものだって思うことにするよ。ある意味、演劇部だよな」 俺の言葉に、芙蓉は笑った。 「彼も言ったわ、演劇部」 「そうか……」 俺も笑った。頭の出来は違うって思ってたけど、思考パターンは似てたのかな。センス無いぞ、お前。心の中の弟の面影にそう呟いてみる。兄さんこそ、っていう声が聞こえてきそうだ。 「夏子と話して、二度びっくりって感じだったわよ。バーテンだけは男かと思ったら女なんですものね。あたしが言うのも何だけど、夏子ったらハンサムだったのよね。背も高かったし」 夢見るように語る芙蓉の瞳には、花とか星とかハートとかが飛んでそうだ。 「……宝塚?」 芙蓉はまた笑ったが、今度は何も言わなかった。多分弟も同じこと言ったんだな。 「夏子が、自分がこの子の保護者だって言ってくれて。未成年だからフロアには出さないけど、この子の家はここだから、家の手伝いをしてもらってるっていう説明で、彼は納得してくれたわ。中卒で働いてる子だっていっぱいいるし、それに」 芙蓉は少し目を伏せた。 「ワケありの子供は、何もあたしだけじゃないもの。ある意味、警察官である彼にとっては珍しいものでもなかったってこと。あたしみたいに、『この子の保護者は自分だから、この子に何かあったら自分が責任を取る』って言ってもらえるような子は、少ないと思うわ、夜の街では」 「芙蓉……」 苦しげな表情で葵が呟く。君が悪いわけじゃないさ、という気持ちをこめて俺はその肩を叩いた。 「でも、夜の盛り場は危ないから、子供に一人歩きはさせないようにって、それだけは彼、夏子に真剣に意見してたわ。女の子なんだからよけい危ないっていうから、まだ気づいてなかったのかって夏子と目を見合わせたのは覚えてる」 俺はちょっと弟がかわいそうになった。無理言うなよ、芙蓉。 「いや、それは無理だと思うよ。君は今でも女にしか見えないし、その頃は年齢なりにもっと華奢に見えただろうから、言われたって信じられないだろう」 「そうかしら?」 「そうだよ」 「じゃ、証拠見る?」 スカートをめくろうとするのを、俺は必死で止めた。 いい。見なくていい。ってか、見せるな。子供の前だぞ」 「あの時は、彼も青くなって止めたわねぇ」 うふふ。 芙蓉、この小悪魔……先の尖った尻尾が、揺れているのが見えそうだ。 「あのな、きれいなものはきれいなままでいて欲しいんだ!」 頼むから。自分と同じモン、ぶら下がってるのなんか見たくないったら、見たくない! ああ、血圧上がりそう。誰か俺を癒してくれ……。

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