4.7 ずいぶん、お早い、お越しで

 【加速】魔法を使ったローズマリーには、ナイフが、フォークが、そしてガラスと皿の破片が、コマ送りのように迫りくるのが見えていた。 今の傷では、どれだけトンファーを振るっても、どれだけ速く動いても、全ての刃からは逃れられない。それに、彼女がここから逃げてしまったら、次に犠牲になるのは背後の二人だ。  恐怖に耐えながら、彼女は必死に前を向く。  傷、そしてその先にあるものがあとどれくらいでもたらされるのかも、概ね予測がついている。痛みに耐える覚悟も死ぬ覚悟もできていない彼女だったが、自分に迫りくる無数の刃を前にして、絶対に悲鳴だけはあげるまいと決めた。何故かはよくわからない。実力者の手のひらの上で踊らされたという意識がどこかにあって、何かしら一矢報いた気になりたかっただけなのかもしれない。  死までの短い時間は、永遠のようにも感じられる。それは彼女の使う【加速】魔法のせいもあるかもしれない。  だが、確実に、あと数瞬後には痛みに襲われる。  どんな覚悟も、決意も、迫りくる死への恐怖を拭い去ってくれるものではない。ましてやローズマリーのような年端もいかない少女なら、なおさらだ。  少女は反射的に顔を背けて目をつむった。  少しでも、死の苦痛を和らげたいと、どこかで願いながら。  だが、その瞬間も、痛みも訪れなかった。 「悪いな、遅くなっちまった」  薄眼を開けたローズマリーの前に立つのは、どこか頼りない、見慣れた後ろ姿。耳を打つのはいつもどおりの軽い口調。  でも、その聞き慣れた声に、少女は薄い笑みを浮かべる。 「先生……!」  【防壁】で全ての刃を受け止めたシドは、ちらりと後ろを振り返る。ドレスと上着を血に染めた少女は、大儀そうに大きく肩で息をついてこそいるものの、眼の光はまだ消えてはいない。 「ずいぶん、お早い、お越しで」  とはいえ、お小言にいつものような強さはない。早いところ決着をつけ、手当てを受けさせたほうが賢明だ。 「そんなになるまでよく耐えたな。動けるか?」 「この状況をみて、それでもそう聞けるんだから、さすがですね」  愚問だということはシドも重々承知だが、彼はもともと防御を得意とする魔導士で、有効な攻撃手段――特に間合いの開いた相手を仕留めるもの――をほとんど持たない。犯人の制圧には、どこかで必ずローズマリーの手を借りざるを得ないのだ。 「俺の弱点は、君も重々承知だろ? ボロボロのところ申し訳ねーが、もう一働きしてもらうぜ」 「相変わらず人使いが荒いですね……。大丈夫です、やりますよ」  これくらい耐えられなきゃ私の目標になんてたどり着けませんからね、とつぶやいたローズマリーは、深く息を吐いた。  そうしている間も立て続けに飛んでくる刃と、それらを全て跳ね返すシドの【防壁】を見た彼女の口元に笑みが浮かぶ。それが安堵によるものか、相変わらずのバカみたいな堅牢さにあきれているのかは、定かではない。 「相手の情報はあるか、CC?」 「遠隔操作系の魔法、術者はあの白スーツの男です。技量のほどは定かではないですが、大扉を塞いでいることを考えれば、相当強い力を発揮できるのではないかと」 「|念動力者《テレキネシスト》か。ずいぶん厄介なヤツに出会ったもんだな」 「先生、あの手の魔法を相手にしたご経験は?」 「ねーよ。今考えてる。少なくとも正面突破じゃ無理だ」  【防壁】で少女を守り、体力を少しでも回復させる時間を与える一方で、目の前で刃を向ける白いスーツの伊達男を倒す算段を考える。 「彼の魔法、効果範囲はかなり広いはずなんですが、私の動きを止めたり、死角から攻撃を加えたりという様子は、今のところありません」 「どんな魔法であっても、発現には制約とか条件がある。強力な魔法ならなおさらだ」  間合いの外からの執拗な攻撃に防戦一方、負傷は避けられないと知っていながら、逃げずに新郎新婦を守ったローズマリーの報告は、断片的ながらも貴重な情報。当座の対策には十分役に立つ。 「ダスター卿、ルルーナ嬢、ご無事ですね?」 「二人とも無事だ、怪我もない!」 「お嬢さんのおかげです、危ないところでした」  いままで仕事でさんざん危ない橋を渡った経験もあるのか、一見優男風のダスター卿に動揺は見られない。ルルーナ嬢も少々青ざめた顔ではあるが、落ち着いていると言っていいだろう。 「ダスター卿、彼はあなたの招待客ですね? 彼の魔法に心当たりはありませんか?」 「あるものか! まさか彼が魔導士だなんて、思ってもみなかったぞ!」 「招待状まで送っている以上、彼の素性を何一つ知らないということはないでしょう!」 「ここ数年疎遠だったのは事実だが、少なくとも彼が魔法を使っているところなんて見たことないぞ!」  何かしらヒントが得られればと一縷の望みを抱いていたシドだったが、当てが外れて舌打ちをする。迷いなく反論するところを見ると、ダスター卿には本当に心当たりが無いのだろう。  いずれにせよ、攻撃に難のあるシドと傷を追ってしまったローズマリーだけではあの|念動力者《テレキネシスト》を抑えるのは難しい。どうにかあの大扉を開けて、警察を呼び込む必要がある。それに少女の傷のこともあるから、できるだけ早く済ませてしまうに越したことはない。  いつものくせで顎に手をやり、数秒間思案した後、シドは通信機を口元に寄せた。 「アンディ、聞こえるか?」 「中は一体どうなってる? 怪我人は?」 「あんまり長々と説明してる余裕はないから、一度しか言わねーぞ」  アンディも現場近くに降りてきているのだろう、部下たちの怒鳴り声もノイズ混じりに聞こえてくる。 「犯人は部屋の中央に陣取ってる白スーツの男だ。それ以外の客と新郎新婦は伏せてるか、物陰で小さくなってる。俺とCCは本日の主役の護衛中だ」 「そいつはご苦労さん。で、そいつは魔法使いってことでいいんだね?」  「ああ。とんでもなく珍しい能力の使い手だ。大扉が開けられないのもそいつの魔法のせいだ」  アンディに状況を報告しながらも、シドは次の手の準備に余念がない。透明な魔力がどんどん【圧縮】され、【防壁】越しの風景が目に見えて歪んでゆく。  |念動力使い《テレキネシスト》が操っているものをよく見てみれば、二ヶ所の大扉に自身の周りの調度類だけ。それ以外のものは動かせないのか動かす気がないのかは定かではないが、少なくとも今は、彼は物体を《《選んで》》操っている。  対象を|念動力《テレキネシス》の影響下に置くには、ある程度意識を集中させないといけないのではないか――そうシドは踏んでいた。 「センセイみたいに後ろから突入するのは、どうだい?」  シドはちらりと背後の扉を伺った。本来はスタッフが出入りするための通路である。 「あんまり賛成しないな」  犯人は鬼気迫る表情のまま、シドとローズマリーを見据えている。大扉のことを考えれば、裏口も完全に彼の|領域《テリトリー》内のはず。シドの突入をきっかけに警戒を強めていても不思議ではない。  それならば、大扉から犯人の意識を引き剥がし、警察に突入させるほうがまだマシなように思える。 「俺が囮になって犯人の注意を引く。運が良けりゃ、扉をこじ開けられるはずだ。中に突入できたら、白スーツめがけて派手にぶっ放せ!」 「運頼みってのはなんとも頼りない話だね」 「相手の能力を見切るだけの情報も時間もないんだ、やってみないことにはわからない」 「しょうがないな。とりあえず言うとおりにする。幸運を祈るよ」  アンディの声はどこか悟ったような、超然としたところさえ感じられるものだった。後は野となれ山となれとでも思ってるのだろうか?  とにかく、シドも警察も、今は限られた情報から最良の回答を選び取る努力をするしかない。 「シド先生、囮役なら私がやります」 「君は大人たちがしくじったときの切り札だ。まだ力を蓄えとけ」  ローズマリーの申し出を却下したシドは、少し腰を落として構えると、通信機のアンディに威勢よく言い放った。 「ちゃんと合図するから、耳の穴かっぽじってよく聞いてろ! せいぜい派手に踊ってくれよ!」  言い終わるやいなや、シドはローズマリーをその場に残し、犯人に向かって駆け出した。

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