4.4 全て自分の力でなんとかしようとするな

「おはようございます」 「おはよう……」  ロベルト・ダスター子爵とルルーナ・パサート嬢の婚約披露パーティ、その護衛任務の朝がやってきた。前日夕方から降り出した雨は夜更け過ぎに止み、日が昇る頃には澄んだ空気が街を満たしている。  爽やかな朝の風の中、起き出して準備を進めていたローズマリーとシドだが、二人の表情は対称的だ。いつもどおりのクールな面持ちの少女に対し、例によって夜更かししたらしいシドは寝ぼけ|眼《まなこ》をこする始末。 「先生、そんな眠そうな人にハンドルを預けるのは、やっぱり少々心配です……」 「ほっとけ。どうせうちの車のエンジンはうるさいし振動もひどいんだ、嫌でも目が覚めるさ」  大あくびを噛み殺す素振りさえ見せず、シドはトランクルームに荷物を放り込む。その様子に、ローズマリーの眉間のシワは自然と深くなる。 「クロスケは準備できてるか?」  ローズマリーは左手に提げたケージを指差す。中にはふわっと柔らかく詰められたタオルケットと、観念したように小さく丸まったクロが収まっていた。 「悪いなクロスケ、ちっと我慢してくれよ」  もはや反抗する元気も出ないのか、クロの返事は弱々しい。 「クロちゃん、本当に大丈夫でしょうか?」 「まあ、大丈夫じゃなくても、連れて行かざるを得ないんだけどさ。万が一のことがあっても嫌だし」  シドは勢いよくイグニッション・キーを捻り、エンジンに火を入れた。  どこかイカれているんじゃないかとも思わせる音と振動を振りまきながら、リードから解き放たれた子犬さながらに、チンクエチェントは元気よく街を駆けてゆく。今日も絶好調――と上機嫌なのはシドだけで、ローズマリーはどこか心配気、クロに至ってはこの世の終わりとばかりにおとなしくしている。 「何度乗っても、なかなかこの揺れには慣れませんね……どうぞ、先生」  揺れる車中、ローズマリーは器用にコーヒーを注いでシドに手渡した。 「ありがとう、助かる」 「やっぱり眠いんじゃないですか」  悪魔のように黒く地獄のように熱いコーヒーを、シドは目を白黒させながら飲み下してゆく。  眠気覚ましにしてはいささか苦行に過ぎるが、そのことを口にしてしまったが最後、ローズマリーには「夜更かししている先生が悪いんですよ! だいたい……」と小言でやり返され、クロは「日頃の行いをなんとかしろ」と言わんばかりにやかましく鳴くだろう。最も、後者に関してはチンクエチェントの振動に打ち勝つ気力があれば、の話だが。  朝っぱらから少女に説教されてはかなわない。シドができることは、せいぜい、味の感想をシンプルな言葉で伝えることくらいだ。 「………死人でも目が覚める苦さだな」 「それくらいじゃないと効かないでしょう? 居眠り運転されてしまっては、私も困ってしまいます」  ローズマリーは見ている方が胸焼けしそうなくらいに砂糖を入れ、必要以上にかき混ぜてコーヒーを飲んでいる。時折大人びた表情を見せる彼女でも、味覚はまだまだ子供だ。 「別に君まで無理してコーヒーを飲むことはねーんだぜ?」 「好きで飲んでるだけですよ?」  散々砂糖を入れたコーヒーを一口飲んだローズマリーだったが、まだ苦いらしく砂糖を追加している。いくら熱いコーヒーであっても、あんなに砂糖を入れてしまえば溶けるまい。 「俺が眠っちまったらマズイのはそのとおりだが、君は別に寝てたっていいんだぜ?」 「いえ、大丈夫です。昨日は早く休ませていただきましたから」  そういう彼女の目はいつもより赤い。ささやかな強がりに、シドは苦笑してしまう。 「どうせ嘘をつくなら、もうちょい上手くやってくれよ。本当は緊張してるだろ?」 「……少しだけ。寝てはいますが、妙に早く目が冷めてしまいました」  シドに見透かされたのが癪なのか、それとも自分の気持ちを締めるためか。ローズマリーは行儀よく膝の上に置いた手をギュッと握りしめる。 「警備任務なんて大層な名前がついちゃいるが、毎度トラブルが起こるわけじゃない。仮に何か起こっても、君なら大抵のことは対処できるさ」 「……そうだといいんですけど」 「まわりの人間と協力しながら事に当たれ、ヤバくなったら俺を呼べ。全て自分の力でなんとかしようとするな。それだけ守ってりゃなんとかなる」  シドのぶっきらぼうな箴言に、ローズマリーは緊張した面持ちのまま小さく頷いた。 「そんじゃ、今日の仕事の内容のおさらいだ。CC、君の役割は?」 「新婦の親族に扮して、会場内で警備を担当します。外部からの侵入者、あるいは来場客に扮した脅迫犯が行動を起こした際は、新郎新婦を最優先で護衛します」 「それでいい。事が荒立つまでは大人しいお嬢さんっぽく振る舞っていればいいさ」  心外ですね、とばかりにローズマリーは軽い抗議の言葉を返す。 「普段から大人しく振舞っているつもりですけど、お気に召しませんでしたか?」  横目で見る少女はよそ行き用のすまし顔。多少緊張はしているようだが、皮肉を言えるくらいならいいだろう。シドは再び正面へと視線を向ける。 「それにしても先生、寝ていいとはおっしゃいますけど、この振動の中で眠れる人はなかなかいませんよ? クロちゃんなんてもう怯えどおしじゃないですか」  クロは籠の中のタオルに包まったまま、身動き一つする様子がない。いつもより長い距離のドライブであることを薄々感じ取っているのか、ときおりあげる鳴き声からは力強さが全く感じとれない。《《彼女》》が人間だったら顔を真っ青にしたまま動かないか、シドから強引にハンドルを奪って力ずくで車を止めていただろう。 「別に助手席の人間を困らせようと思って乗ってるわけじゃねーよ。仕事で必要になったから破格のお値段で譲ってもらったんだ、文句は言えないさ」  シドは適当な言い訳をでっち上げる。  彼がチンクエチェントを選んだ本当のきっかけ、それは子供の頃に見たアニメ作品だ。劇中、世紀の大泥棒の孫が小柄なクルマをぶん回し、警察や悪役の面々を手玉に取って大活躍する姿に密かな憧れを抱いていたのだ。ただ、|お嬢さん方《ローズマリーとクロ》がそれを聞いたら、怒るか呆れるかのどちらかだろう。沈黙は金とはよく言ったものである。 「そもそも、このエンジン揺れ過ぎじゃありませんか? 壊れてません?」  ローズマリーももとを正せば良家の生まれ、乗ってきた車はいずれも静かで穏やかな乗り心地のものだっただろうから、疑問を抱くのも無理はない。 「いいじゃないか、これくらい振動があれば『ああ、自分はクルマに乗ってるんだな』って自覚できるだろ?」 「その自覚って必要ですかね……? 私は大丈夫ですけど、人によっては酔いますよ。クロちゃんが喋れたら、きっと私に同意してくれるはずです」 「残念ながら弊社では猫の意見を聞いてクルマを選ぶほどの余裕はねーよ。悪いな、君たちの意見は却下だ」  最新鋭とまでは言わないが、そこそこ新しい車を買えないことはない。おまけにこのチンクエチェント、定期的にメンテをしないとすぐに機嫌を損ねる。だからこそ一層の愛着が湧くというものだが、彼の主張が万屋ムナカタの女性陣の同意を得ることはきっとないだろう。  男性がクルマに対して抱くこだわりは、往々にして女性には理解されないものだ――。  チンクエチェントを譲ってくれた件の友人のしたり顔が目に浮かぶ。彼の発言を一笑に付して反論したあの頃の自分と、小言をつくローズマリーとクロを黙らせるかのように、シドはアクセル・ペダルを強く踏み込んだ。 ますます大きくなる振動とエンジン音とともに、少女と黒猫の不安と不満は上昇曲線を描いていく。

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