第10話 タグ

 竜の巣穴亭の一室。  遠く響く鐘の音に誘われるように継人つぐとのまぶたがうっすらと開いた。  判然としない意識のまま、ぼんやりと天井を眺めた継人は、次第に意識が覚醒していくにつれて、昨日の出来事が頭の中に思い起こされてきた。  昨夜は野宿を覚悟していた継人だったが、少女が渡してくれた銀貨三枚のおかげで、所持金が五百ラークを超えた。その金を使い、竜の巣穴亭でシングルの部屋を一部屋ではあるが借りることができたため、無事こうして柔らかいベッドの上で眠ることができたのだ。  やがて完全に目覚めた継人は、ふいに頬の辺りに何かふわふわとしたものが当たる感触に気づいた。  なんだろうと視線を向けると――それは少女の髪だった。ふわふわの白い巻き毛が継人の頬をくすぐっている。まるで羊毛のようなその髪は、心なしか昨日ダンジョンで撫でたときよりも、さらにふわふわになっている気がした。いや、それはいい。継人が気になったのはそこではない。  少女は全裸だった。  なぜかすっぽんぽんになった少女が、継人に、ひしっとしがみつきながら眠っていた。 「――――は?」  継人の短い疑問符には、すぴー、と呑気な寝息が返ってくるのみだった。  確か、部屋で風呂を発見した少女が目をキラキラさせて「お風呂に入りたい」と言っていたのは記憶にある。それなら飯を食ってからにしろ、と言って少女に干し肉を渡したことも覚えている。干し肉をまずそうに食べていたので、ドライフルーツを渡すと喜んで食べていたこともなんとなく覚えがある。それを見て、羊だから草食なのか? と思いながら、干し肉をかじり、ベッドの上でごろごろと――……、昨夜の記憶はそこまでだった。  どうやらいつの間にか眠ってしまったらしいな、と継人はベッドから体を起こす。そのまま部屋を見回すと、備え付けの物干し竿に服がかけられていた。少女は風呂に入って洗濯までしたらしい。チュニックにショートパンツにソックスに、下着まで干してある。  なるほど全裸なわけだなと思いながら、少女の頬をペシペシと叩いて起こす。 「…………むぅ、にゅ」 「おはよう」 「…………おは、よぅ」  少女を起こした後で継人はトイレに向かった。  用を足し、顔を洗って部屋に戻ると少女は眠たそうな目をしながらも、しっかりと覚醒している様子だった。しかし、まだすっぽんぽんのままだ。 「起きたなら服を着ろ」  そう言って、継人が干してある服を取り、少女の頭から被せたところで気づく。  少女は何も身に着けていないと思っていたが、一つだけ身に着けているものがあったのだ。  それはペンダント――というにはあまりに無骨な、ただの金属プレートに鎖を通しただけのものだった。それを少女は首から下げている。 「なんだそれ?」  聞いた継人を少女は不思議そうな顔で見て、 「……これ?」  と逆に聞き返した。 「そう、そのプレート」  そう言う継人に、少女はやはり不思議そうに首を傾げながら、 「……しらない?」  と、やはり逆に聞き返す。 「いや、知らないから聞いてるんだろ」  こいつ、まだ寝ぼけているのか? と思った継人に、少女は答えを言った。 「これはタグ」 「タグ?」  確かに、言われてみればそれはドッグタグのような物だった。  よく見ればその表面には、こちらの文字で『ルーリエ』と記されている。 「もってない?」 「持ってないな」 「なくしたんじゃなくて?」 「失くすも何も、元々持ってない」 「…………」 「……なんだよ。やっぱ寝ぼけてんのか?」 「……たいへん」  大変らしい。  SSS  継人は今、冒険者ギルドなる建物の前に立っていた。  なぜ継人がそんなところにいるのかというと、タグという物の存在を知らなかった彼の様子に、少女が突然わちゃわちゃと慌て出したかと思うと、こうして継人をここまで引っ張ってきたからだ。  継人が一体何事かと、少女の拙い説明に耳を傾けて分かった範囲で言えば、どうやらそのタグというのは、この世界における身分証明書のようなものに当たり、誰でも持っているのが当たり前の代物であるどころか、所持していないとほぼ犯罪者のような扱いを受けるらしい。  とにかく急いで作ってもらったほうがいいと、少女の主張はその一点張りだった。  そのタグを作ってもらえる場所が冒険者ギルドというわけだ。  継人は少女の説明を聞いて、タグといえば、と一つ思い出した。 「俺がタグ無しって呼ばれたのは、つまりそのタグを俺が持ってないって意味だったのか?」  ダナルート一行にそう呼ばれただけではなく、思い返してみれば、この世界で初めて出会った男の第一声も、継人をタグ無しと呼ぶものだったのだ。 「ずばり」  無表情に得意げな色を滲ませながら、その通りだと返す少女に、継人はしかし、とさらに疑問を続ける。 「でも、なんで俺がそんな小さいタグを持ってないって、ぱっと見で分かるんだよ。単にポケットにしまってるだけかもしれないだろ?」  事実、少女も現在は首から下げたタグがチュニックの中に隠れているので、それを身に着けているのかは一目では分からない。なのに、少女がタグ無しと呼ばれることはなく、継人だけが一目でタグ無しだと見破られるのはなぜなのか――? 「つくってみれば、わかる」  少女はそんな継人の疑問に対して、半眼を得意げに輝かせながら、そう返すのみだった。  SSS  冒険者ギルドという言葉に、若干ワクワクしながら建物に入った継人だったが、そこは彼が期待したような、ゲームや漫画に出てくるような場所ではなかった。  酒場が併設されているでもなく、荒くれ者がたむろしているわけでもない。むしろ静かで清潔な、役所のような印象を受ける場所だった。 「――つーか肝心なこと忘れてたけど、タグ作るのに幾らかかるんだ? 金なら無いぞ」 「へいき。なんとタダ」  そう言ってどや顔する少女に促されて、カウンターらしきところに向かう。  そこにいたのは金髪を綺麗にまとめ上げた、二十代前半とおぼしき受付嬢だった。その絵に描いたような美人受付嬢を見て、どこぞの宿とは違うなと継人は感心する。  やってきた継人を見るなり、受付嬢は朝の眠気もまるで感じさせない笑顔で声をかけた。 「ようこそ冒険者ギルドへ。本日はタグの再発行でよろしかったでしょうか?」 (…………いや、なんで用件が分かったし)  第一声から迷いなく言い放った受付嬢に、継人が眉をひそめていると、 「む、ちがう。再発行じゃなくて、発行」  少女が横合いから継人の代わりに答えた。 「え――? ハッコウ……?」  少女の言葉を聞いて、一瞬、何を言われたのか分からず素っ頓狂な声を上げた受付嬢だったが、さすがプロいうべきか、すぐに頭の中で情報を整理すると、改めて居住まいを正して対応を続けた。 「タグの、しょ、初回の発行、でよろしかったですか……?」  こくり、と頷く少女。  ごくり、と唾を飲み込む受付嬢。  継人はよく分からず、ぼんやりとその様子をうかがっていた。 「しょ、少々、お待ちください!」  受付嬢は慌てたようにカウンターの奥に去っていくと、そちらから何やら、きゃいきゃいと騒がしい声が継人の耳にまで届いてくる。 「なんか……大丈夫なんだよな?」 「へいき。すべてはじゅんちょう」  不審がる継人に少女は平然と答える。  しばらく待つと受付嬢が金属製の受け皿のようなものに、タグを一つ載せて戻ってきた。 「お待たせ致しました。それではこちらのほうを手に取って頂けますか?」  継人は差し出された受け皿からタグを受け取る。金属プレートに鎖が通されたそれは、少女が戻っていた物と全く同じ物に見える。 「それでは、そのタグを手の中で軽く握ってみてください」  継人は受付嬢に言われた通りに、訳も分からないまま、タグをギュッと握った。 「しばらくの間、そのままでお願い致します」 「え?」  握ったまま? どういうことだ? と訝しむ継人に、受付嬢はニッコリ笑って、 「すぐに済みますので」  と言ったきり、説明しようとしない。  継人は困って少女に視線を向けるが、 「……すぐすむ」  継人に向かって、こくり、と頷くだけだった。  ――――二人に言われるまま待つこと五分ほど。 「まだか?」  タグを握った右手を見つめるが特に変わったことはない。  思わず尋ねた継人に受付嬢はニッコリ笑って、 「もうすぐですよ」  そして少女も、 「……もうすぐ」  ――――その言葉を信じて待つことさらに五分ほど。 「…………まだなのか?」  やはり特に変わったことはない。  自分が何をしているのか全く理解できない継人は、多少苛立ちながら尋ねる。 「……も、もうすぐ、ですよ?」  受付嬢も、アレ? おかしいな、という気配を漂わせている。  彼女のこめかみからは冷や汗らしきものが垂れていた。  そして少女も、 「……だ、だいじょうぶ。きっと、もうすぐ」  自信を無くしたような口調だった。  心なしかオロオロしているように見える。  そんな二人の様子に、継人はいい加減に我慢の限界がやってきた。 「おい、これは何をやって――」  継人が声を上げた瞬間だった。 『ステータスタグを装備しました』 『【アカウント】の登録が完了しました』  まるで電子音のような妙に鋭く響く声が、継人の頭の中に響き渡った。  そして同時に―― 名前:継人 種族:人間族 年齢:17 Lv:8 状態:呪い HP:224/224 MP:1/1(-239)(+10) 筋力:11 敏捷:9 知力:10 精神:12 スキル 【体術Lv2】【投擲術Lv1】【言語Lv4】【算術Lv3】 ユニークスキル 【呪殺の魔眼Lv1】 装備:ステータスタグ【アカウントLv1】【システムログLv1】 「……なんだこれ……?」  継人はこの世界にやってきた直後の混乱を、今、再び味わっていた。

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